最終更新日: 2006年1月10日
どこを走るか自転車
内山
一千年代最後の1999年は、トータル3500キロメートルを、走ったことになる。

しかし、この年サイクリストとして、純粋にサイクリングをしたのはただの一度であった。それも、横浜

市内を走るバーベキューラン、往復50km程度。これでは、これをお読みくださる方々の走り方とは

まったく違い、当然サイクリストとはいえないが、筆者がそのような者であるということをご了承いただ

きたい。では、どこを走ったのかというと、その3000km余りが、東京都内、しかも都心部の皇居周

辺の一般道を中心とした数区である。そこで体験したこと、考えていることを述べてみよう。

 都内を自転車で走っていると、さまぎまなことに遭遇する。この時、走っているところは原則的に、

車道の左側、いわゆる法律で定められているはずの通行区分である。車道であっても、自転車

通行禁止のところは走っていない、また、歩道も明記しない限り通行していない。

 まず一例目は、自転車と都バスだ。この二者のうちでで最も印象的だった出来事。国道20号

線を新宿駅南口方向から数百メートルほど高井戸方向へ進んだときのことだ、突然、「そこの

自転車の人、危ないから、車道なんか走らないで。」と、拡声器の声が聞こえた。何事かと思って

振り返ると、横を禄色の車体の都バスが追い抜いていく。なんと、都バスの運転手が外にいるお

寄さんに何かを伝えるためのマイクを使って喋ったらしい。一瞬何を言っているのか理解できなか

った。思い返しても、バスの前に突然飛び出たり、バスを右から抜くなどこのバスと自分の自転車

の関係におかしな行為はなかったと確信する。どうもこの運転手は、自転車は歩道を走るものと

勘違いしていたらしい。それにしても、お客さんの乗っているバス、しかも公共の都のバスの運転

手が外部へのマイクを使ってこんなことをいうだろうか。残念なことにこのバスには、その後追いつく

ことができなかったので、なぜそのような発言をしたのか聞くことができなかった。ここまでひどく、しか

も、バスのお客さんの前で、わけもわからずはずかしい思いをしたのは、この時だけだ。

 だが、バスとのこれに似た出来事は、この後も枚挙に暇がないほど何回も続き現在にいたって

いる。最も多いのは、バスがクラクションを鳴らしながら抜いていくことだ。これは、真後ろでいきなり

大きな音が鳴るので結構驚く。一瞬、ハンドルを持つ手がぴくっと震え、少し危険だ。

さらに怖いのは、自転車を抜きながら徐々に幅寄せをして、自転車の進路を狭めていく運転手

がいる。これはバスの後輪が真横にくるとき10cmもないときも多々あるので本当に怖い。一歩間

違えれば、大きな後輪に巻き込まれてしまう。いったいどこまでわかって運転しているのであろうか。

ここまでされると頭にくるので、必死で追いかけていって、信号待ちしている運転手に文句はいうが、

バスの運転手はどこ吹く風であるか、「歩道を走れ。」という。詳しい法規はまったくわからないが、

公共の交通機関をこれ以上止めるとこちらが罪に問われそうので、残念ながら、文句を言う以上

に深入りしたことはない。

 このようなことをしてくるのはほとんどがバスである。最初は都バスだけかと思っていたが、東急で

も小田急でも京急でも同じである。それに比べると、タクシーとのこのような争いはめったにない。

トラックや乗用車に、ごくまれにクラクションを鳴らされることがある。乗用車に限っていえば、下手

そうなドライバーほどそういうことをしているように感じる。

 では、なぜバスが多いのか。もちろん左側の通行車線を、自転車とバスと違法駐車の車で取り

合っていることも、もちろんあると思う。しかしそのような車線状況でない路側に障害物のないところ

でも、そういう事態に遭遇することが多い。これはあくまで、個人的な見解であるが、バスの運転

手は、自分が公共の乗物を運転しているから、多少のことをしてもいいと思っているのではないか。

これはもちろん電鉄系のバスも含めてのことである。よく、「バスとけんかしても勝てないよ」と聞く、

これは事故のときの警察の対応や、その後の裁判に関しての、その噂であるが、そのようなおごり

が、バス運転手にあるような気がしてならない。バスの運転手は交通法規を知っているのであろう

か。自転車は原則的に車道を走り、自動車のクラクションはむやみに鳴らしてはいけないということ

を。


 二例目として、自転車と警察官との関係である。

 自転車で車道を走っていると、駐車違反を取り締まっているミニパトカーの婦警さんに注意される。

内容は、車道は危ないから、歩道を走れということだ。これに関しては、いつも可能な限り、真意を

尋ねることにしている。なぜその場所の車道を走ってはいけないのか。そこが走ってはいけないのなら、

どこまでの区間、歩道を走れというのか。現場における警察官の指示は絶対なので従わなければ

ならないが、何かのときのために(歩道を走り、トラブルに巻き込まれた場合など)名前を教えてくれ

と頼む。そうすると、ほとんどの場合、もういいよ、君の安全のために言っているのだからといって去っ

ていってしまう。このようなことは、ミニパトの警察官だけではない、交通整理中の警察官、交番の

警察官、さらには白バイの警察官にも止められて注意されたこともある。彼ら警察官は、警察官

であるのにきちんと交通法規を学んでいるのだろうか。自転車は原則的に車道を走り、歩道は歩行

者が歩くのが優先であることを。


 三例目として、歩道を走る自転車。

 時として、歩道を走ることももちろんある。その時は、むろん自転車通行可の歩道であることを確認

する。その上で走るのだが、その歩道は、知ってのとおり、歩行者優先である。当然ゆっくり走り、

自転車のベルで歩行者をどけるような行為をしてはいけない。この狭い歩道を走るのは容易なこと

ではない。一人が歩いていても追い抜くのが難しいような歩道を3人ぐらいが並んでいることもある。

さらに自転車や、バイク、ごみとさまぎまなものが置かれていたりする。でも、ベルは鳴らさない、ベル

は危険だと思うときに鳴らすものであって、人をどけるものではないからだ。

だから、なるべく声をかけて通らせてもらうようにしている。時には、すり抜けていってしまうこともあるが

、このことは歩行者に不安を与えると思うので、反省しているが、ベルを鳴らすよりいいのではと個人

的には思っている。しかしこれに関しては、何かのアンケートを見たとき、ベルを鳴らしながら抜いてい

く自転車と、何もせずに行ってしまう自転車どちらかがいいかを比較していて、回答が半々ぐらいであ

ったことを考えるとなんともいえない。

 最近、自転車と歩行者の歩道での事故が多いという記事を読んだ。たしかに想像に難くはない。

けたたましくベルを鳴らしながら走っていく自転車、それをよけようとする歩行者。一歩間違えればぶ

つかってしまう。いくら慎重に走っていても、歩行者の行動は一番小回りが聞くので、よみきれない。

とまったり、Uターンしたり。車両ならば意思表示することなしにそのようなことをするのは許されない。

しかし、そこは、安全なはずの歩道なのである。責めることはできない。

そんな危険なところを自転車は、走っていく。猛スピードで行く人もいる。

 このような事故を重く見たのか、最近都心部の比較的広い歩道、(昭和通りの銀座周辺、国道

1号の桜田門から虎ノ門にかけてなど)に、自転車の通行部分と、歩行者の歩行部分を地面の色

で色分けしているところが登場した。もちろん自転車が車道寄り側である。しかし、これが曲者であ

る。まず対向の自転車がきたらすれ違えないほどの狭さ、先程も述べたような駐輪している車両、

ごみ、果ては屋台など障害物が多く、そこを進むことは困難である。

さらには、自転車がきても関係なくそこを歩く歩行者。だがこれに関しては自転車が歩道を通らせて

もらっているような気がするので怒ることもできない。これで自転車と歩行者の接触事故が減るとは

思えない。もしこんなところで、事故を起こしてしまったら車両である自転車に非がとても多くなるの

ではないのだろうか。このようなところを常に走ることはとてもできない。

 自転車に乗っている多くの人は、自転車が車両であり、歩道を走る際にはあくまでも歩行者が

最優先であるという規則を知っているのだろうか。結局歩道を我が物顔で走ることはできないのであ

る。バス会社、あるいは、警察が勧める歩道とはこのようなところである。

では、自転車は、どこを走ればいいのか。やはり、車道であろう。

 ここで少し日本以外の国の自転車事情に目を向けてみよう。何度かイタリアに行った。想像どお

りイタリアの自動車の運転はすごい。ほんの10cm隙間があれば車の鼻先を入れ、割り込んでこよう

とするし、結構スピードも出すし、先に行ったもの勝ちである。なんという交通マナーの悪さと一瞬思

う。しかし、知っている限り絶対しないことがある。クラクションを鳴らして、自転車や歩行者を驚かせ

ないということだ。よくみれば、割り込まれた車もクラクションを鳴らすことは滅多にしない、街中で、

注意していると、クラクションの使用が非常に少ない気がする。そうなのだ、この国民はクラクションや

ベルを、自転車や人をどけるために使うことはしないようである。日本ならどういうことになるか。

 ここで、鳥山新一先生の講義に出て聞いたことを思い出した。たしか日本のどこかの交差点の、

戦後10年おき位の音のテープであった。クラクションの音が多かった交差点が徐々に静かになってい

く様子が録音されていた、と記憶している。この時、外国の話もされ、交通社会が成熟していくと、

クラクションの使用が減り、静かになるという話をされていたように記憶している。(※鳥山先生、要旨

を取り違えていたらお詫びします。)

 そうなのだ、日本も確かに静かになった。しかしまだ、交通社会として成熟が足りなさ過ぎるのでは

ないだろうか。自動車から見てゆっくり走っている自転車、自転車から見て遅い歩行者、このようなも

のに対して、クラクションやベルを鳴らすのは、未熟なのではないだろうか。

 イタリアに話を戻すと、信号は必要最小限しかついていない。歩行者は適当なときを見計らって

渡るのである。イタリア人はこともなげに渡っている。ゆっくりと走らずに、堂々とわたっていく。車も

歩行者の状況を考え、止まったり、うまくすり抜けていったりする。歩行者が、急に道の途中で、

Uターンや止まったりしない限り不安はないであろう。それに比べて、日本の信号機に支配された

交通。これは未熟なのも仕方ないかもしれない。

 歩道はどうなっているかというと、自転車が歩道を走っている姿をみることはめったにない。残念

ながら、法的に歩道通行可であるかどうかは知らない。ベルを鳴らしながら、走っていく自転車は

見かけない。もしベルを鳴らしていたら、たぶん知り合いへの挨拶だ。そうかといって、イタリアの車道

が走りやすいかというとそうともいえない。日本と同じように路側には、駐車車両がひしめき、自転車

の通行する部分を減らしている。だが最近、面白いものを見つけた。写真を御覧いただきたいが、

一方通行の道路に、逆走行できる自転車レーンがあるのだ。むろん日本でも、一方通行の道路

を、逆に走行できることは、<自転車を除く>の補助標識によって許されているところが多い。しかし

、こうまできちんとしてくれるとは走りやすそうではないか。当然歩道ともきちんと区分されているので

歩道の部分を走る必要がないのだ。

 しかしここでイタリアと比較しても、突然日本が

変わるわけはないので、文化の差として、諦める

が、参考までに。ちなみに筆者はイタリア以外の

国については知識がないので、ご存知の方々是

非お教えください。

 さてここで、また東京に目を向けてみる。

秋の交通安全運動の時だったと思うが、都内を

走っていると、参考資料1,2のパンフレットを手渡

された。極めて当たり前のことだが、いくつか気に

なる点がある。一つは、「歩道を通行するときは

・・・」だ。ということは、無理に歩道を走る必要は

ないということである。当然といえば当然だが、前

述のように警察官がそうは認識していないような

ので、あげあし取りのようではあるが、このパンフレ

ットを携行していれば役立ちそうである。

さらに「歩道は歩行者優先」。当然だ。だからこそ無駄な神経を使わない車道を通りたい。

続いて「自転車も正しい横断」自転車は横断歩道を渡るときは自転車から降りて押して歩かな

ければいけないのだ。そんなことをしている人を見たことあるだろうか。しかし法則は法則だ。だか

らやはり車道をずっと走りたい。そしてここで一つ疑問がある。車道を来た自転車がその部分だけ

、自転車横断帯を渡らなければいけないのか、それともこれは歩道を来た自転車がここを渡るた

めのものかは、研究不足でわからない。

それにしてもこのようなパンフレットが配られるということは、よほど歩道を走る自転車のマナーが悪

いと考えるしかない。だからこそ我々サイクリストが本来歩道を走るときは細心の注意が必要にな

りペースも上がらず疲労してしまうのだ。やはりサイクリストたるもの一般の人のような走り方は出

来ないではないか。

車道を走るとバスから脅される。警察官はあなたのために歩道を走れという。だが、交通安全の

ためには、歩道は歩行者優先だから、走るときは気をつけて走れとも言う。

ではどこを走ればいいのか自転車は?

これは、以前からいろいろなところで取り上げられている。この問題を大きくして、法律によって自

転車の通行区分が明確に決まることを望んでいるわけではない。「自転車は歩道のみを走れ」

などと決まってしまったら目も当てられなくなってしまうからだ。

それではいったい何を望むのかといえば、バスの運転手や現場の警察官に自転車は原則的に

車道を走ってよいことをもっともっと認識してもらいたいのだ。それとともに、無謀な走り方で歩道を

突っ走っている自転車の人たちに、歩道は歩行者優先であることも認識してもらいたいのだ。

2000年を迎えた今、日本の交通社会が少しでも成熟することを願って。


この文章を脱稿後、喜ばしい記事が新聞に掲載された。都内の内堀通り、外堀通り、ならびに

そこからの放射線状の道路に自転車専用道ができるというのだ。本当に実行されれば素晴らし

い自転車のための21世紀へよの幕開けであろう。