2013年「佐渡ロングライド210」野宿の二日間   事務局O湖
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レポート本文

 ゴールの瞬間

 今回も楽しませていただいた「佐渡ロングライド」、信号機などで停止すること最小限にして一日中走っていられる、楽しく安全で人情温かい催しです。

「星空の佐和田会場」

 今回は相棒のT葉さんとの弥二喜多道中です。各自の愛機合計2機を母艦となる軽トラに収容し横浜を出発しました。この日は午後から雨が降り出し、関越自動車道を行く母艦上の2機がびしょ濡れになってしまい慌てましたよ。
 午後遅くわたしたちは新潟市内に進出し、新潟港フェリー乗り場へ向かう途中のホームセンターに立ち寄りました。ブルーシートを購入して、これを積載した2機の上から被せロープで縛ると幌付の軽トラに変身です。

 T葉さんと母艦


 フェリーボートは佐渡両津港に定刻着岸しました。そのまま出走会場の佐和田めざして軽トラは再び走り出します。わたしたちは佐和田会場近くの公衆浴場で旅の汗を流し、隣接する公的施設の軒下に寝袋を広げました。ここはトイレも水道もある野宿好適地。季節は野宿に理想の気温、湿度です。夜空となった佐和田の上空を見上げると、雲が厚くて今夜もまだ断続的に降り込められそうな気配でした。横浜でイメージしていた佐和田の夜は満天の星空で、寝袋から見上げていると時おり流れ星がよぎり、思わず願い事をつぶやいたりするロマンチックな夜のはずでしたのに…。

「走る楽しみといじる楽しみ」

 …わたしどうも朝が弱くて、掛かりがよろしくないのです。周囲が薄明るくなった黎明時にうつらうつらして、しばらく寝袋のなかで意識が覚醒するのを待ちます。佐渡の水で顔を洗い、それからゆっくりと支度して体温を上げます。心のなかで発走に向けて緊張感を高めていく、この緩く流れる時間が好きです。
 「当日受付」の列に並び、ゼッケンをシャツに留め、メットをかぶり指切りのグローブを両手にはめる。スパイクシューズの締め付けをみながら足首を回し、大腿部や緋腹筋を静かに伸張させる。このときに感じる至福の感覚、この感覚が心地よいですね…。しかし落ち着いている場合じゃありません、悠然と出発点に集合したので、出走は210キロコースに出走する集団の最後になりました。130キロコースに出走するT葉さんと同じ時間帯です。彼は走了後に本日の夜行便で直帰することになっております。
 「佐渡」は出走から走了まで、沿道には地元のみなさんが手を振ったり拍手したり声を掛けてくださったり、賑やかに応援してくれるのがうれしいです。集落を通過する毎に歓迎してくださるので、おおいに励みになります。

 走り出してからしばらくすると、なんだかハンドルの前方突き出しが短くなったように感じました。風光明媚な大佐渡の眺望に見とれて走っていたので気付くのが遅れましたが、明らかに違和感を覚えます。下肢を回して走りながら点検を開始しますと、上体が立ち気味になってまるでランドナーで巡航しているかのような姿勢です。さらに細かく各部を見回しますと…。
 じぇじぇっ!サドルの位置が前下がりになっているよ。驚きましたね、我慢できないほどではありませんが、サドルの水平方向の位置が明らかに前下がりです。走っていると徐々に腰が前方に滑って、これを防ぐため腕を突っ張っていなければなりません。搭乗姿勢も前身が詰まり気味になるので、上半身の筋肉群を効率よく使い難くなります。
 横浜を出立する前日、よしておけばいいのに車輪の振れ取りとサドルの位置調整をしていたのです。サドルの方はきっと傾斜した場所で作業したのでしょう、僅かにトップを前下がりに固定してしまいました。
 この障害を解決するためには、6ミリの六角レンチをもって再び位置調整すればよいのですけれど。残念ながら携行している応急修理用のものでは柄が短すぎて力が入りません。どこかで修理対応の支援自動車と出会うでしょうから、そのときまで手をつけずにゆっくり行くことにしました。

 結局は100キロ地点、大佐渡と小佐渡を結ぶ島のくびれた部分に位置する両津港まで来てしまいました。ここには昼食の弁当ステーションが設けられ、到着時刻は11:10でした。アップライトな搭乗姿勢の巡航で、これくらいの所要時間ならばまあまあでしょうか。
 なるほど途中では出会わなかったはずです、サポートカーはこの昼食会場に何台も集結していました。不調となった愛機を曳いて、不安げな参加者がどちらの車の前にも列をなして並んでいます。うち1台の係員さんに声を掛け、自分で直しますからと工具をお借りすることができました。

 
2013年5月「金時山クラブラン」         2013年6月「サイクルエイドジャパン」

 わたしの愛機は外観が古典的でして、自分で組んだ車輪はマビック社製の32穴パイプリムにオープンサイドのチューブラータイヤです。もちろん小さく畳んだスペアタイヤを2本サドル下に懸吊しています。皮革製のサドルはブルックス社「プロ」で、チネリ社製マース型ハンドル「ジロ」、指掛け部が大振りなマファック社製ブレーキレバーを装着しています。
 ステムは「SWワタナベ」純正オリジナル、鋼管クロームメッキ仕上げの美しいものです。仏国の工房アレックス・サンジェにも見受けられるような芸術的にして優美な姿態を有します。

 
SWワタナベハンドルまわり          同 美しい姿態のステム

 とりわけ上記ブレーキレバーは、アウターワイヤーが露出してハンドル上に緩いアーチを描いておりますので人目を引くのでしょう。また変速レバーはバーコン(バーエンドコントローラー)ですから、STIレバー全盛の現代にあってはふつうでない異形の姿が目立ちます。古式メカに興味を示す人たちが集まってきて、しばらくのあいだ解説したり歓談したりして、食後の休憩時間を楽しく過ごしました。
 フレームをオーダーし、自分で部品を組み付け調整して、自分のためだけに走ることにとり憑かれた熱狂的な愛好者(わたしです)。「佐渡」のような大きな大会にはこれを至高の趣味とするエンスージアストが必ずいます。黙っていてもメカフェロモンを嗅ぎつけ、自然と集まってくるものです。
 というわけで出走が遅くなり、12:00の制限時間をもって再び巡航を開始することに。サドル位置が水平に戻り搭乗姿勢は理想的になりましたので、心も軽く躍るようにして先を急ぎます。

 佐渡も東側へ回ると、強風の向かい風が頭を押さえつけるようにして吹きつけます。わたしはすこし頭を下げた前傾姿勢をとり、クランクシャフトの回転数を毎分約90回転に保ちました。両津湾を左肩越しに望む平坦路を巡航していると、なんだか息づかいやらチェン駆動特有の乾いた金属音が錯綜する気配がします。振り返ると後方には徐々に列機が連なってきました。わたしは風よけにちょうどよろしいようで、佐渡ロングライドのご同僚にはこのくらいの速度が安心できるのでしょうか。
 一定速を保ち、緩慢な動きにしてわざと後方に付きやすくしてあげますと、入れ替わりながら8機くらいが喰らいついてくるのですよ。ある者はしばらくすると物足りないのか先へ出て行き、ある者はこの空間が心地よいのかいつまでも追従してきます。わたしは誰かの後方について走ることはしませんが、後ろへ着かれることは厭いません。むしろ頼ってくれれば走り甲斐もあるといえましょうか。まるでカルガモ親子の親鳥になったかのような気分で先頭をよちよちと進みます。
 狭いところや速度を落とさざるを得ない路面では、ハンドサインで後方へ減速の合図をします。もちろん追突されるのが怖いからですけれど、正しい小集団走行をこの機会に覚えていただければ、わたしもうれしいですから。

 親切に声を掛けてくださる人もいました。「後輪が大きく振れているけれど、出走前になにか車輪をいじりましたか?」ですって。ああ、振れ取りをしたんですよ、どうも不調法でうまくできませんでしたと答えますと。
 「ならばわかりました、気をつけて行ってください」と爽やかに追い抜いていかれました。このように注意喚起してくれる一言は親切でありがたいです。その後ろ姿のシャツには、地元新潟県のスタッフであることが記されていました。

 まことに鋭い指摘でした、じつは後輪の振れ取りが中途半端だったのです。縦振れを取っているうちに横振れが取りきれなくなってしまいましてね。面倒になってアウターケーブルのアジャスターを適当に回しておきました。横振れでリムがブレーキシューに当たらない程度に、サイドプルブレーキのキャリパーアーチを広げておいたのです。メカ上級者に睨まれれば、この程度の付け焼刃調整は瞬時に見抜かれてしまいます。

 大会行程も終盤となる小佐渡の西端、沢崎鼻からの残り40キロ区間まで進出すると、今大会で一番の走り処である激坂三連発の地区に入ります。今年は激坂のうち一カ所の道筋が変更され、幅員が広がって登りやすくなりました。
 喘ぎながら上昇していくと、大太鼓の低く太い音色が遥か前方より徐々に大きく聞こえてきます。郷土芸能を継承する有志が演奏し応援してくれているのですね。音源の位置から推測するに、坂の頂上はまだまだ先にあるようですけれど、山の中で聴く和太鼓の演奏にわたしも奮い立ちました。

 激坂地区を抜け、遥か下方に見える真野湾を目指し急降下していきます。「SWワタナベ」ビルダーにより製作されたフレームはタンゲNo.3鋼管で組まれています。圧倒的な剛性により直進性を保ち、このときの速度計は時速60キロを超えました。踏めばまだまだいけそうな気がするのですが、もしかすると疲労で速度を認識する感覚が鈍っているのかもしれません。緩いS字カーブを抜けるときコーナー入口で時速50キロを超えていましたが、まるで他人事のように思えました。このときは痺れましたね、脳内に快感物質ドーパミンが走りめぐります。

「後泊の余韻」

 今年も無事完走しました。淡々とした気持ちですが、この1年間事故も病気もなく息災に過ごせたことを感謝します。先着の仲間に迎えられ、こぶしを挙げて決勝門をくぐりました。
 彼らはこの町でさらに一泊し翌日帰るそうで。わたしは今夜小木港から出港する直江津便に乗船します。互いに肩をたたき健闘を称え合い、横浜での再会を約し別れました。また130キロコース出場のT葉さんも完走され、本日帰宅のため両津港へ向かわれたとの報告がありました。めでたし、めでたし。

 おつかれさまでした

 愛機を母艦に積載しロープで固縛する作業には時間を要します。前輪を外し、移動中の風圧に動じない形態にして固定します。乗船時間が迫っていますので慌ただしく身仕度をしていますと電話機の呼び出し音が…。大会本部からです、忘れ物があるとかで。あーそうか今朝の受付時、参加賞などいろいろ頂戴したものを手荷物預かり所に置きっぱにしていたっけ。急いで本部建物へ出頭しおずおずと申し出ました。スタッフの人たちが親切に案内してくれまして、大量の忘れ物の中からじきにわたしのものを見つけてくれました。一部では慰労会も始まっているようで、責任ある大役を果たした男女の役員さんたちが歓談しています。わたしも楽しんで走らせていただいたお礼を丁重に述べその場を辞しました。

 
     チャリ積載ノ図 

 もう乗船時間には間に合いません。あきらめて乗船窓口に電話を入れ、明朝一番の便に変更してもらいました。まことに日和見ですが、これもひとり旅となった気安さです。昨夜と同じ公衆浴場に行き、愛機の母艦を昨夜と同じ宿泊地に係留しました。そして昨夜と同じ焼肉屋で食事をして昨夜と同じよい気分になって…。この生活は二日間で完全に規則的に繰り返されるルーティンライフになりました。この夜は晴れ間ががありまして、寝袋から見上げると前夜に夢見たとおりの夜空となりました。

 翌朝のフェリー乗り場では、昨夜別れたM野さんたちと早々に再会しました。直江津に上陸後、上信越自動車道でも偶然にして昼食場所は同じでした。自転車乗りの考えることは似ていますね、再会を繰り返すたびに笑ってしまいます。
 列島の分水嶺まで上り勾配の続く片側一車線のこの道では、わたしの軽トラは最高時速80キロしか出せないものですから、昨日と同じように後続を延々と連ねて行くことになりました。

 帰宅後のある休日、佐渡に出走した機を整備しておりますと後輪右側のスポークが1本折れていました。フリーホイル側のネック部が見事に飛んでいる教科書どおりの折れ方でして、後輪の振れ方は尋常ではありませんでした。あの日後方から声を掛けてくださった方はここまでお見通しだったのでしょう。まことに畏れ入りました。
 それにしてもあの激坂地帯を抜けてゴールするまでの間、よくぞ何事もなかったものです。よほど操縦技量に巧みなのか、それとも後輪横振れの異常振動に気づかないくらいに鈍いのか…。


−以上−

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