最終更新日: 2006年1月10日
あの頃から現在まで
大湖

 YMCC創立30周年おめでとうごぎいます。

このクラブを産み育ててくれたシマダ社長に心より厚くお礼申し上げます。

また、素晴らしいコレクションを展示した資料室をミーティングルームとして貸しだしてくださること、そして

現在も、創立当初からかわらずに温かくご指導(公私ともに)くださっていること重ねてお礼申し上げま

す。

 私が「シマダ」さんのクラブにいれて頂いたのは、まだ学生の項で、ですからクラブ創設後7年ぐらいで

しょうか。その前段として、走るの大好き壱サイクリストとして、暫くお店に出入りしておりました。この頃

は、いろいろと知識欲旺盛で、650Bタイヤとリムの関係とか、ラージハブに6本取りの場合、スポークの

長さはいくらとか、今では時代が変わって、よく言えば懐古趣味、そうでなければ陳腐というような事柄

にこだわっておりました。もっとも当時は、それが主流で実用だったのですから、30年といえばひと昔も

ふた昔も前ということになりましょうか。

 頻繁に出入りしていたわりには、あまり上客とはいえなかったようで、自分にとって都合のいいパーツ

ばかり、小パーツボックスから勝手に選びとって、それも無理言ってまけてもらったりして、あの頃はひど

いことしてたなあと反省しております。自慢じゃないですけど、自分の完成車は購入したこと1度も

ないんです。子供のとママちゃりだけ。社長許してね。

一昨年、ロード・フレームと周辺パーツを揃えて頂いたのが初めてじゃあないかな。ハンガー部分と

ヘット部分だけは組んでもらったもんねぇ。

 あ、思いだしました。「ぴあ」でフィッシャーのマウンテン・バイク買ってます。

 学生から、就職した独身時代まで、「自分の一生の趣味は自転車である」と確信をもって言えた

ものです。それが気がつくとすっかり離れてしまっていて、稀に当クラブで走ったりすると、その当時の

フレームでは、乗車姿勢が合わない。サドルが別人のもののようで尻が痛い。そして、ついていけず

にちぎれてばかりいうことが続きました。自転車は、現役時代から変わってないから、自分の体力が

衰え、体型が変わったことに気がつかなかったんですね。私は自然と淘汰され、フェードアウトしてい

きました(トレーニングもなにもしてないんだもんね。これじゃあ、走れないはずだよ)。

 暫く休眠期間がありまして、実は、クラブにご無沙汰してたんで行きづらくなってたんです。そんな

時に社長から電話を頂ました。クラブラリーの幹事クラブやるから出てこないかというお誘いで。私の

こと気にかけてくれていて、本当にうれしかったです。クラブのメンバーも温かく迎え入れてくださいま

して、再び当クラブで勝手なこと言ってる次第であります。みんな本当にありがとう。

 いまは、体力回復のためトレーニングにもいそしんでおります。有酸素運動と筋力トレーニングを

組み合わせ、皆についていけるように頑張ってます。ついでに泳げるようになりました。副次的な

産物として健康診断で蛋白が出なくなったこと、気になるお腹がすこし締まって体型が整ってきた

ことがあります。これもあの時社長に声をかけていただいたおかげで、私の生活の転機となりました。

 追伸:もう一人、人生の恩人が当クラブにおられました。あの当時の会長だった棚橋さんです。

YMCCの会長として、人生の先輩として、常に「指揮官先頭」の姿勢でありつづけた棚橋さんにも

おおいに薫陶をうけました。とりわけ職場で自分の指針とさせていただいております。


       現在の私の自転車について

 シマダコレクションほどではございませんが、いろいろと所有するなかで、いちばん稼動しているのが

ケルビム・ロードですか。97年にシマダさんからオーダーしたフレームに、自分で選んだパーツを組ん

だものです。

 イタリアン・カットラグとチネリによくみられるような撫で肩のホーク・クラウンがアクセントで、オレンジ

色に塗り上げてあります。オーダーのコンセプトは、軽く長距離が楽なこと。チューブの基本は石渡

017で、前ホークだけ018という特殊なものです。シートチューブ560ミリ、トップチューブ530ミリ、73度

パラレルでキャスターを寝かせ、バックホークも長めにとって、ロング・ホイールベースにしてあります。

ハンガー下りも大きくとって、安定をよくしてあります。

 時代遅れだって、そうでしょう、学生時代のロードを思い出してオーダーしたからね。

 ヘットとハンガー右碗部は、専用工具を持っていないので、お店で入れてもらったんですが、すで

に時代は変っていて、ユニットになったハンガー小物はあの大きなスパナでねじ込む必要はありま

せんでした。ハンガーシャフトを支えるのは、ニードルベアリングになっていて、定期的にグリース交換

することも不要で、お店によれば、「壊れるまで」分解しなくともよいそうです。あのカップ・アンド・

コーン式の微妙な締まり加減を調整する感覚。ガタつきさせず尚も軽く回るよう、あの真剣な不安

と緊張感がもう味わえなくなったんですねえ。クランクは、「ジュラ」できめたんですが、これは国産

最高という見栄が大方な理由です。そのほかでは頑丈さで、落車したときに狂わないように。

 軽量化のためか、クランクのシャフト幅を狭くして作ってあるらしく、右クランクがくの字になってチェン

リングをかわすようにしてあります。チェーン外れの際に噛み込まないようにピンが埋まっているのが

ご親切ですね。実際に過去何度か、ずぼらな調整のせいでチェーンが外れても、前変速機の羽根

を動かすだけで走りながら復旧しております。

 前後の変速機は、これはもう、サンプレのLJできまり。ランドナーで愛用の「コンペティション」と一緒

で、前後共通した軽くて短いストローク、後ろ側はダブル・テンションでとる多目のキャパシティ、そして

なんといっても縦型のスタイルが完成車のシルエットをすっきりとみせることです。負荷をかけた状態で

チェンジすると、パンタ部分が後ろに一瞬のけぞるようにしてスパっと変速する快感は、製品の性能を

こえた有機的な温もりを感じますね。ただね、バックホークの幅が今様の幅広サイズなので、パンタの

移動距離が足りなくて、8段フリーが使えないの。仕方無いので外側から6枚を使って、センター寄り

の2枚はアクセサリーにしています。このサンプレをシマノのバーコンで、アナログモードで引っ張るんです

が、バーコンのワイヤーに工夫がしてあってサンプレ本来の軽さを減殺していない。ここに日仏の技術

の調和をみましたね。ちなみにハンドルは、日東105。幅のせまいものを使用。エンドのバーコン部相

当をカットしてあります。ついでにチネリ・スピナッチをつけて、前傾姿勢の自由度をもたせてあります。

 本番で走っていて気がついたこと。相模原工廠の日米親善トライアスロンみたいに、直角のクラン

ク・コーナーの多いコースで踏み込んでいくと、調整の稚拙か、ウェイト・トレーニングの効果か、チェン

・ステーが微妙にたわむのか、勝手にシフトダウンしてしまうの。バックを柔いチューブで長くとったから

ねえ。

 長距離は楽です。狙ったとおり。茨城県波崎町の大会みたいに90キロもあると、効果がよくわかる。

28穴のホイールを使っていることもあって、踏み込みが軽いし、長いホイール・ベースと大きめのハン

ガー下りの効果で安定して走れる。2.2キロ泳いだあとなので、この区間を楽に走れることのありが

たみは大きい。

 難点は、二車線しかない道路の往復地点では、コーナー・ポールを回るのが大回りになることかな。

 この愛車の真骨項といえば、前述の理由から、緩い上り坂のストレートなど変速しなくともシッティン

グでぴしぴし行けることでしょうか。快感ですよぉ。

 もちろん、各種トレーニングの組み合わせで、エンジンを鍛えているからなんですが、毎分90回転で

50×16とか15の、私にとっては今まで重くてまったく踏めなかったギヤを潜めるようになったことは、とて

もうれしいことです。

 今後、気になるのは、耐久性がどれくらいかなあということです。レースでは、泳いだ直後に乗車す

るので、海水漬けになってしまうし、「エネルゲン」とか「ウイダー・イン・ゼリー」とかの食いこぼしでべた

べたになるし。薄くて柔らかいクロモリチューブなので、本来扱いは丁寧にしたいところですよね。ま、

経年劣化は仕様の無いこと。姿あるもの必ず滅びますからね。それまでせいぜい頑張って乗ってや

りましょう。

追記:

 この原稿書いたのは、99年12月10日です。会社休

んでTVのワイドショー見ながらWord打ってたんです。

そしたら番組で、30年前の出来事として大ベストセラー

となったイザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」の

出版が、昭和45年なんだったんですって。「日本人は、

水と安全はただと思っている」

というくだり、話題を呼びましたよねえ。中学生だった

わたしも読みましたよ。当時はこのイザヤさんが著した

ものを山本七平氏が訳したといわれておりましたが、

実は山本氏本人の著作であったということを夫人が

証言しておりました。その後思想人としてもご活躍な

されましたが、わたしの覚えているのは、朝日新聞の

本多勝一記者との日中戦争をめぐるやりとりですね。

 山本氏の戦場における実体験(フィリピンでの)に

基づく思想は、その時代を生き抜いた者が身につけ

た歴史の視点でありましょうし、本多氏のベトナム戦

場ルポなどは、現実を飾ることなく記述することで、

反戦平和の世論をもり立てたことを思い出しました。