最終更新日: 2006年1月10日
つうりんぐのおもひで、、など
菅野
 最近はとんとツーリングに出掛けず、不摂生の日々を送っているので思い出も何も有った物では

ないが、昔走った道行を思い起こしつつ書き散らしてみたいと思う。

「大弛峠のこと」

 標高二千米を越える乗車可能な峠の事を知ったのはNC誌の記事であったろうか、読んだ時以来

何かと気に掛かる存在ではあった。上手く行けば雲海の上に出られるかも、と言う甘い考えを抱き

つつ実行に移ったのはもう10年位も前の事。仕事が終わった後に急いで荷造りをして横浜駅へ。

横浜線経由、八王子乗り換え。中央線夜行にぎりぎり間に合う、お決まりの突発的自転車旅で

あった。

 翌早朝、小淵沢から小海線経由で信濃川上へ。眠い目を擦りながら駅に降り立ったのは7時頃。

取り急ぎ自転車を組み立て荷物をまとめて、登り口までのアプローチを消化する。食糧は事前に

買い込んであったので気楽な物。これから迫り来る登りの辛さも知らずに、鼻歌混じりのサイクリング

だったが、入口から段々と勾配がきつくなりキャンプ場を過ぎたあたりから寂しくなり始める。

途中、道草を食ったりしていたので時間も10時を回っており、この先のスケジュールにふと不安が

よぎるが迷っている暇は無い。ただひたすら進むのみ、と、思った矢先に道は大変なガレ場に変わる。

時折、爆音を立ててオフロードバイクが抜き去って行く以外は静かなもの。爆音が九十九折りしな

がら遠ぎかって行くのを開いていると、この先の道の険しさがひしひしと伝わって来る。

 当時の自転車は、650×38Bのランドナーをフラットハンドルにしたパスハンター。今時のMTBほど

は走破性も高くなく、潜り込むタイヤをなだめつつ、左右に取られるハンドルを押さえ込みつつ、

一つ一つの九十九折りをつぶしながら標高を稼ぐ。お昼前頃になって地図を確認するとまだ頂上

の手前あたり。少し悲しくなってきたので本当は峠で取る予定だった昼食を早めに採る事にする。

森林限界に近い標高では周りの木々も疎らで殺伐とした風景となり、しんと静まり返った山の中。

思わず携帯ラジオをつけて人心地つく。お湯を沸かすバーナーの音も心地良い。エネルギーを補給

してもう一頑張り、と言いたい所だが、休んだ後の体には結構きつくガレ場もさらに狂暴性を増して

来てあえなくダウン。ついに押しが入る。ただひたすら景色を眺めつつ押す。押す。押す。そのうち

風景が開け始め、いつもの峠間近の予感がして来る。「もう少しか」と、思う間も無く峠に到着。

すこしガスっていて待望の雲海も無し。時間は2時を回っていた。

 これから塩山まで下って電車で帰ることを考えるとのんびりとはしていられいので休憩も早々に

下り始める。途中、焼山峠で少し登りかえすものの全体的にはほぼ全部下り。午前中の苦労が

報われた感じがしたが、さすがに下り通しだと飽きが来てしまうと思うのは贅沢な悩み。少し休憩

を入れつつJR塩山駅に到着したのは5時半くらいだったろうか。登りに比べてあまりにもあっけない

到着に少し拍子抜けするものの、時間も追って来ているので慌てて自転車をパッキングして電車

に飛び乗る。

 以上が、夜行日帰り標高2000mの旅の顛末である。今となっては疲れた記憶しか残っていない。

もし、また行けるなら今度はサスペンション付きのMTBで攻めてみたいと思うが、今となってはどうなる

ことやら。



「戸隠、鬼無里(きなさ)界隈のこと」

 前述の大弛行きの時期と前後した数年間、信州の鬼無里、戸隠方面に熱を入れていた時期

があった。今までの鬼無里詣での旅を振り返ってみるが、詳しい日程を記録していない事が悔やま

れる。

1)長野〜鬼無里〜戸隠〜黒姫:夜行日帰り。

   最初の鬼無里行き。きっかけとなったのはこれもNC誌の紀行文だった様に思う。当時まだ

健在だった信越線夜行急行「たにがわ」で長野へ。ここから裾花川の渓谷沿いに鬼無里

へ走り、大望峠を経て戸隠に抜け信越線黒姫駅より帰る。夏の暑い日、峠の坂道を上り

詰めた後に戸隠で食べた蕎麦に惹かれてこの後の鬼無里詣でが始まる。始めてでペースが

つかめず、慌ただしい旅であった。

2)黒姫〜戸隠〜鬼無里〜白馬:三泊四日。

    二度日の鬼無里は逆周りコースをとり、信越線黒姫駅側から戸隠に登り一泊。

   途中戸隠奥社、中社、等を見物。今回は物見遊山をしながらなので行程も時間も気に

   ならず、泊まりたい所で民宿を探すと言った放浪旅であった。翌日は飯縄山周辺の脇道

   を散策したり宝光社を見物しつつ蕎麦を食べ、鬼無里に降りる。この辺は伝説の多い所

   で、土産物屋で郷土誌を買い込んで読んでいる内興味が涌いて来たので史跡巡りを始

   める。ここで二泊目だが面白くなったのでもう一晩泊まる事にして、三日目は奥裾花まで

   のピストン。時期を外していたのでミズパショウは無かったが渓谷が綺麗だった。

   途中、「西京」「東京」等の紅葉伝説ゆかりの地名を確認したり、「木曽殿あぶき」を見に

   行ったりで一日を過ごす。

   最終日は嶺方峠を抜けて白馬へ。NC誌の表紙でお馴染みの北アルプスが見えるトンネル

   は健在だったが夏場のもやっている景色は時期的に良く無かった。ここはやはり冬場が最

   高であろう、ただし雪で閉ぎされていなければ。白馬からはひたすら南下してJR大糸線

   大町駅へ。ここで今回の旅は終了。いきあたりばったりではあったが、気ままで楽しかった。

3)白馬〜鬼無里〜戸隠〜黒姫:夜行日帰り。

    今回は白馬側からの進入。夜行明けの眠い体で峠を攻め、鬼無里を経て戸隠へ。

   寝不足のせいで体調が良く無かったのか、あまり気が乗らなかったのか、この旅の記憶は

   あまり残っていないが、夏の盛りだっただろうか、抜けるような青空を見上げながら紳社

   境内の木陰で昼寝をした事だけは強く記憶に残っている。

4)長野〜黒姫〜戸隠〜鬼無里〜白馬〜松本〜諏訪〜上田:4泊5日。

    いつもの夜行でまず長野へ。今回も長野からの走行となる。薄暗い明け方の空気の

   中自転車を組み立て、坂中峠を経て黒姫まで走り、戸隠に登る。ここで一泊。翌日は

   鬼無里、白馬を経て大町へ。ここで二泊目。今回は鬼無里界隈はあっさりと通過。

   以下、松本を経て諏訪で三、四泊の後、和田峠を越えて上田に抜け、車上の人となる。


 以上、四度の鬼無里詣での旅であったが一番心に残っているのはやはり二度目に行った時の

事だろうか、十年近くたった今でもはっきりと記憶に残っている。これほど一つの所に執着して足

繁く通った事は他には無い。また機会があれば是非訪れたい土地ではあるが、あのアプローチで

愛用した信越本線の碓氷峠越えは今はもう無い。