最終更新日: 2006年1月10日
逗子通信
菅野
1 方向音痴のほ−ろ−へきであること

 自分には放浪癖があるらしい。そう気がついたのは8つか9つの時だった。私は近所の子を集めて

ガキ大将していたが、時折一人で探検に出ることがあった。

 東京の郊外はまだ住宅都市として発展途上で、新興住宅地と武蔵野原林とキャベツ畑が奇妙

な調和を見せていた。「探検」にはもってこいの環境だ。初めての横道に入りこんで道に迷い、泣き

そうになって歩き回った。けれども可愛くない子供だったから泣かなかった。替わりにその辺のオトナ

を捕まえて聞いた。「スイマセン。ヘキザン小学校はどっちですか」

 ようやく学区〔ナワバリ〕内の見慣れた道に出ると膝が震えるくらいホッとした。けれども両親には

決して話さなかった。有名な誘拐事件が発生し、知らないところに一人で行ってはいけません、

と学校でも家でも言われていたからだ。だからこれは弟にも言えない秘密の楽しみだった。

 道に迷う恐怖と知らない土地への憧れ。そしてナワバリ内に帰りついた時の安堵感。それは麻薬

のように私を捕らえた。

 再発したのは19で単車を知った頃だ。

長崎では珍しい自転車乗りだった(外装3段変速の軽快車を通学に使っていた)私は一人でサイク

リングに出かけた。坂がきついうえ道が狭い(石段も多かった)ので乗るよりも押す方が多いサイクリン

グだった。よくチェーンを外して両手を真っ黒にして修理した。ごちゃごちゃと入り組んだ長崎の町並み

は面白かったが、不満なのは迷えないことだった。基本的に「板を下れば繁華街」なのである。

まあこれは仕方ない。

 方向音痴であることは社会に出てから知った。

お店に入ると、出る時には自分の来た方向が判らなくなっているのだ。悪いことに当時働いていたビル

がエレベーターホールを中心に左右対称の作りだった。エレベーターを降りると迷わず反対フロアに

歩き出しては同僚に笑いながら肩を掴まれたた。

 そうか。方向音痴だから放浪するとすぐ道に迷うのか。こりゃ楽しい。方向音痴のほ−ろ−へきだ。

放浪癖が2倍楽しめてしまう。そんな風に開き直ったのはその時だったか。

 そして今。

自由な時間があるとつい「ほ−ろ−の旅」に出てしまう私がいる。知っている道でもいい。全く知らない

町でもいい。財布とカメラをバッグに落して取り敢えず出かけよう。この旅に自転車は大事な相棒だ。

どこまでも入りこめてどこでも止まれるし渋滞なんて関係なし。疲れたら電車にだって乗れるこの

オールマイティな相棒は時々ふくらはぎに油のキスをしてくれるけど、普段と違う視点とスピードを

与えてくれるからまあよしとしようか。

2 二持乗りであるということ

 私はサイクリストであると同時に単車乗りでもある。

 今の単車は四代目。YAMAHA XV1100 VIRAGOというアメリカンだ。アメリカンは楽しい。あおられる

こともないし余計な競争心も要らない。尤も馬鹿にしてかかるヤツにはそれなりの陰湿なリベンジをお

返しするけどね。(アメリカンと馬鹿にしちゃいけない。OHC1063cc、トルク2.86は伊達じゃない)

けれども大抵は自分のペースで、のんびりと胸張って走る。目的もない気ままな旅も、400キロの彼方

への旅も、ヤツは同じように走ってくれるんだ。なんの気負いも覚悟もいらない。ヤツのメーカーコンセ

プトは「CRUSING ART(走る芸術)」だけど、私のコンセプトは自転車と同じだ。即ち、「楽して長く

走る」これにつきる。だって、旅の相棒にはこれが一番じゃない?

 えっ?自転車と単車の両立は辛くないかって?そりゃあ自転車が223k gもあったり、単車が九段

変速だったりしたら辛いかもしれないけどさ。同じ道を単車と自転車で走ると全く違う道に見えて、

それなりにいろんな発見が出来て楽しいものだよ。


3 鎌倉はやはり恐怖であるということ

 時々「隣町までのポタリング」をする。半日かけて走行距離は20キロ程度。気になる曲がり角は

全て曲がって突き当りを確かめる。鄙びた神社があれば寄ってみる。そんな「小さな旅」。

 逗子市内はまだいいが、鎌倉に入ると普段からのまともでない体内コンパス〔ほうこうおんち〕は

完全に狂ってしまう。「谷地」に誑かされるらしい。妙にねじれた坂と山に迫りあがる家々、車一台

がやっと通れるような細い道。後ろにそびえる山の緑すら何やら妖気を発している。

この曲がり角はどこに続くのか。この板を登るとどこに行くのか。サングラス外して空を見上げると、

めまいを引き起こしそうな青空。耳鳴りのような蝉の声。捲り上げたTシャツの下、肩が白く塩を

吹く。

 もしかしたら次元の狭間に迷い込んだんじゃないかーーー

 この道はこの世ならぬ世界に続く道じゃないかーーー

馬鹿な。笑って否定してみても不安がぬぐえない。日曜の鎌倉の路地は不意に人の気配が失

せることがあるんだ。ごく普通の住宅地なのに見渡す限り人がいない。玄関が墓標のように並び、

生垣の花すら供養の花の血の色に見える。そんな時、観光地の仮面の下に隠されたもう一つ

の鎌倉の顔が牙をむく。血で血を洗った古戦場としての鎌倉が。

訳もないのに恐怖に駆られ走り出すと不意にーーー

目の前にやぐらが!

これは本当にあったことなんだ。霊感なんかなくたっておっかない。

焦燥感の背中に貼りついた、いつか必ずどこかに出られる、という漠然とした安心感。それだけを

頼りにして再びペダルを回しだす。右か、左か。坂を登るか下るか。曲がり角毎に決めてはますま

す道に迷う。

 そしてーーー

 ふっ、と見覚えのある道に出る。「あ・なんだここかあ」塩辛い唇から間抜けた声が出る。途端に

観光地の喧騒が蘇る。そこは休日の人出で賑わう、ただの観光地にすぎなくなる。

 その落差がーーー

私にとっての鎌倉の魅力だ。そしてこればかりは単車では味わえないものなんだ。


4 人生一歩先はわからないということ

 ああ紳様。わたくしは何故ここにいるのでございましょう。

 わたくしはごく普通の働く女性でございます。ただ、少しばかりガキ大将気分が残っていて、もう少し

だけわんばくをしていたいとお祈りしただけなのでございます。

 そんなわたくしに紳様はなにをなさったのでしょう。或る日、わたくしは大学のサークルボックスそっくり

の薄暗い部屋におりました。壁一面には自転車雑誌が所狭しと並べられ、入り口の横には無造作

にぴかぴか光るキレイな自転車が置かれておりました。それはわたくしのような素人の目にもとてもお

高いように見えたものでございます。その自転車がサンジェという方のお作で時価100万円を下らない

と教えられたのは後のことでございました。それよりも驚いたのは、古ぽけた椅子やベンチにぎっしりと

座っている老若男女、いえ女性の方は見えましたでしょうか、わたくし一人だったもしれませんが、

そしてたった今私が彼らのお仲間としてサイクリングクラブに迎え入れられたらしいことでございました。

 それから彼らはわたくしに新しい世界を見せて下さいました。朝7時半の東海道線でいきなり缶

ビールをいただくこと、汗まみれで峠にのぼりついてシェラカップで熱い熟いほうじ茶をいただくのは

素晴らしく美味しいこと、そして苦労して登らなくてはダウンヒルはちっとも楽しくないこと。

お土産屋さんで「サイクリング?どこからきなさった?」と聞かれて「横浜からです」と答えてはお店の方

をビックリさせるささやかな楽しみも覚えました。

 いつのまにかわたくしは一人で自転車を組みたて、分解し、電車に乗せて旅行ができるようになって

しまいました。そして社内流行にすら自転車を持ちこむようになってしまったのです。神様、わたくしは

確かに二輪好き人間ではございますが、このままでは一生二輪から離れられなくなってしまいます。

それで宜しいのでございましょうか。わたくしの生きる道は二つのわっぱの上なのでございましょうか。

ああ神様、どうかお教え下さいまし。わたくしの歩むべき道を。

神様、神様?あれ、神様、後ろに背負ってらっしゃるのはもしかして、後光ではなくてホイール・・・

 神様?

 お−い神様・・・・・