最終更新日: 2006年2月25日
サイクリング10年
佐藤
 私が、サイクリングを始めてから10年以上経ちました。

振り返ってみますと、1988年12月に「横浜一のサイクルショップ」である「島田社長の店」に行き、トライア

スロン用のロードレーサーを購入しましたのが最初でした。

それ以前は、サイクリングにはまったく素人で、パソコンに凝っていて、自宅で「ゲームのプログラム」等

を作って楽しんでいました。当時、橋本聖子がスケートは元より自転車でもオリンピック(ソウル)

に出場し、その雑誌をみてギヤーチェンジ付のドロップハンドルの自転車に乗ってみたくて仕方が有り

ませんでした。ちょうどその時、風郷を引いて一週間会社を休んだことがあり、その折に禁煙しようと

決心し、そのたばこ代を自転車購入資金にあてました。このおかげで、きっぱり禁煙が出来ました。

皆さんも禁煙したかったら、高価な品物を買ったら!


パソコンの「静」から、自転車の「動」へ気分転換でき、禁煙もできて、私にとってはサイクリングを

知ったことは60年弱の人生の中で大きな転換でした。ひとりで、走っていてもすぐに飽きてしまうと思い、

島田社長のご紹介で、この「横浜ミナトサイクリングクラブ(YMCC)」に入れていただきました。

当時のクラブは、旧店の2階で、今の地下倉庫と同じように高価な自転車や部品が所せましと

置いてある物置部屋の中に有りました。島田社長を筆頭に、会長は高桑さんで、星野さんが皆さん

の面倒をよく見ておられ、楽しいクラブでした。また、女性も多く、高桑さんの奥さん、星野さんの

奥さん、小沢さんの奥さん、渡辺(京)さん、菅野さんらがおられて、楽しくがやがややっていました。

菊池さん、渡辺(正)さん、竹内さん、平本さん、小沢さん、北沢さん、熊谷さん、大湖さん、

石部さん、小野寺さんらが常連組で、若手では内山さん、中島さん、菅野さんらがおられ、皆さん

相当走っておられ、私どもの初心者を引っ張って行ってくれました。


当時の写真を見てみますと、相当太っていて、サイクリングができる体ではありませんでした。

いかに運動していなかったかが一目で分かります。そこで、年間3000km走ることを目標にして、

月に2〜3回は走っていました。(当時の記録を見ますと、'89年〜'96年は年間2500km以上は

走っております)

最初の瑞行ツアーは「'89年の丹後半島のクラブラリー」(2泊3日)でした。

最大の挑戦は、「乗鞍のマウンテンサイクリング」の3年間参加したことです。(熊谷さんのお陰で

参加できました)

また、最大の長距離ツアーは、能登半島一周ツアーで、夜行1泊+5泊の約600kmのツーリング

でした。(タイヤを1本駄目にしていしまいました)その後、クラブラリーや全国ラリーは、毎年参加

しております。

また、「新しいサイクリングを考える会」に入会したり、「横浜サイクリングクラブ」の人たちともお付

き合いを始めて、サイクリングの友達が増えてきました。

その間に、事故に遭い、自動車に追突して新車を2ケ月でバーにしたこともあります。

(ケガはほとんどなく、自転車が犠牲になってくれました。)最近では、転倒して骨折をし、直るのに

1年半もかかりました。


ここ数年は、ガンガンと長距離を走ることはなくなり、大勢の人と名所・旧跡を見学したり、景色を

楽しみながら自然の中をゆっくり走ることを楽しみにしております。

また、ツーリングの途中で、おいしい地元料理や旬の料理に舌鼓をうち、地酒をゆっくり味わうような

ツアーに魅力を感じるようになってきました。(年をとってきたのかな?)

最近、年齢的に近い「横浜サイクリングクラブ」の人たちと、海外ツアーに参加して「走るツアー」より

は「見るツアー」を楽しんでおります。(すでにフランスとイギリスに行き、今年はアメリカヘ行く予定です)

将来は、定年後ひとりで四国八十八ヶ所を自転車で回りたいと思っております。


年を取っても楽しいサイクリングをするには、体力と気力を十分に養っておかなければならないと思って

おります。そのために、最近ジョギングを始め、「横浜マラソン大会」や「三浦マラソン大会」に参加して、

足で走っております。


このような人生を今まで続けて来れたのも、皆さんのご指導とご鞭撻のお陰であると感謝しております。

今後とも、このような私とお付き合いのほど、よろしくお願い致します。