2013年11月クラブラン 「横須賀海軍カレーを食べる」 |
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開催日 | 2013年11月10日(日) |
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名 称 | 「横須賀海軍カレーを食べるラン」 |
行 程 | 京急久里浜駅⇒浦賀渡し船⇒観音崎⇒横須賀ドブ板通り⇒三笠公園⇒京急横須賀中央駅・JR横須賀駅解散 走行約20q 道程の難易度:かるい |
集合場所 | 京急久里浜駅09:00集合、09:30出発 |
担当者名 | F本 |
報告者 | O湖 |
参加者 | O笠原、O湖、S山(♀)、S山(♂)、T田、T地、T本、W邉、F本(隊長) 合計9名 700Cロード3機、700Cスポルティフ1機、700Cクロスバイク2機、24吋中径車1機、20吋小径車2機 |
天候 | 曇りのちときどき雨 |
京急久里浜駅で愛機を組み立てると、参加者のみなさんもお集まりになって出発態勢が整いました。
お住まいの地域によってはJR横須賀線の利用者もおられます。O笠原さんはあちらの駅にあらかじめ先行して待機し、出迎えて集合地まで案内してくれました。
このような気配りある行動がクラブの安全行動を支えてくれていると思います。
全員で簡単に打ち合わせをして準備体操もしました。
JCA(公益財団法人日本サイクリング協会)会長代行の加藤先生による「快適サイクリングのためのストレッチングレッスン」 です。
今回企画のリーダーは、YMCC新年度(本年11月1日より翌年10月末まで)を期して新会長に就任されたF本さんです。
当企画はもともと先月のクラブランとして企画されましたが、雨天により反省会のみを先行開催したうえで本日まで延期したものです。
満を持しての再開催となりました「海軍カレーを食べるクラブラン」、この企画につきまして藤本会長の思い入れや苦労話などお聴きしましょう。
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ちょうど1年前の三浦半島のんびりサイクリングを反時計回りでというのが元々の発想でしたが、
日の短い秋、今回は前回見逃した横須賀をターゲットにしようと思い立ちました。
横須賀はいまでこそ米海軍第7艦隊の母港(ベース)ですが、戦前は旧帝国海軍の一大軍港でした。
見逃せないものとして選んだのが、日本最古の洋式灯台『観音崎』、日露戦争連合艦隊旗艦『三笠』です。
それぞれ時間を十分取って皆さんに明治の息吹??を実感していただこうというのが今回の狙いでした。
もちろん海軍カレーもその流れです。いかがだったでしょうか?
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予報では本日も午後から雨降りだとか、駅前には海からの風が強く吹きつけています。
鎌倉から久里浜めざして自走されていたT崎さんは、この強風に阻まれついに久里浜集合を断念せざるを得なかったとか。
久里浜駅前から川に沿って走りだすとじきに海辺に出ます。
河口に架かる橋がその名も「開国橋」。1853年ペリーがこの地に上陸し、日本の開国を求める米国大統領の国書を浦賀奉行に手渡したことにちなみ名付けられたそうな。
「ポンポン船」と呼ばれる渡し舟 自転車は前部甲板に積載します
開国橋からひと山越えると浦賀港です。 ここには浦賀湾の東西を結ぶ渡し船がありまして、大人1名250円、自転車1台50円を支払えば対岸に渡してもらえます。
乗船はわずか3分間ほどですが、ちょっとした港内遊覧を楽しめます。その航路は海の上にありながら横須賀市の市道2073号線、渡し船は横須賀市営交通機関だそうです。
いまは「ポンポン船」と親しみをこめて呼ばれる渡し船の歴史は古く、浦賀奉行所が設置されたのと同時代の1725年頃から運航が始まっていたとか。
当時の動力は艪を漕いだのでしょうね。
舟が桟橋に着いていない時は、待合所の乗船ボタンを押すと迎えに来てくれます
本日の参加者と背景中央は「ポンポン船」 右後方は乗船待ち客で鈴なりの桟橋
浦賀湾を対岸へ渡り、かもめ団地を抜けるとじきに観音崎公園です。
チャリを曳いて遊歩道を灯台の下まで行きました。 チャリを左右交互に重ねて駐輪し、切り立った海岸の頂上付近に建設された灯台まで徒歩で登ります。
入場料200円はクラブ会計資金より拠出していただきました、ありがたや。
灯台の入口では穏やかな気候ですが、 高さ19mの展望部では強風状態
幸運なことに、強風は追い風となってわたしたちの背を力強く押してくれました。
走水(はしりみず)から馬堀(まぼり)海岸を通過し、横須賀市街に入りまして「ドブ板通り」にある「魚藍亭(ぎょらんてい)」のよこすか海軍カレー館を訪ねます。
F本新会長が手際よく予約しておいてくれたので、到着後すぐに着席できました。 入口には帝国海軍の旭日旗と王立海軍旗が交差して飾られ、日露戦争当時の日英同盟を称え懐かしむ雰囲気です。
元祖よこすか海軍カレーは、英国海軍のものを基に明治41年「海軍割烹術参考書」として著わした調理法を忠実に再現したものだとか。
牛乳やサラダが付属するのは、 戦艦三笠が浮き出る「三笠焼」
栄養素など現代ナイズされているとか 小倉あんと白あんの二種類がある
香辛料の香りが食欲を誘います。食感はごくサラっとして喉を通りやすく食べやすいものでした。
わたしたちは食後のコーヒーなどしてくつろぎましたが、当時の水兵さんは短い時間にもっと慌ただしく食べていただろうと察します。
食後に見学する記念艦三笠には将兵860名が勤務していたそうですから、カレーライスを作るにもたいそうな量の材料を使ったのでしょうね。
食休みがてら三笠公園に移動しました。
この日は「よこすか産業まつり」の会場となっているので多くの来場者で賑わっておりました。 記念艦三笠も観覧料が割引され、大人500円のところがなんと200円の大盤振る舞いでとても得した気分になりました。
「三笠」は日露戦争で帝国海軍を指揮統率した戦艦です。日本海海戦(1905)でロシア海軍を打ち破った象徴として、現在はこの地に保存されています。
この艦には司令官と補佐役の幕僚が乗艦し、あらゆる指令を発信して艦隊を指揮しました。 この海戦で三笠は艦隊行動の先頭に立って砲撃戦に臨んだので、ロシア側の砲弾を一身に浴び被弾48発、死傷者は113名に及びました。
この海戦の日本側戦死者は117名、戦傷者は583名ですから、三笠の人的損害がいかに大きかったかが理解できましょう。 またロシア側の戦死者は4,830名にものぼり、ロシアにとっては日本以上に過酷な戦闘の状況をありのままに示しています。
(この記事関連8月クラブラン「那須野が原・明治元勲の別邸めぐり」 )
小一時間ほどして舷側のラッタルを降り、再び公園に降り立つと同時に雨が降り出しました。
営業を終えた生協さんのテントに雨宿りさせていただいたところ、試供品のヨーグルトなど頂戴してとても嬉しかったです。
またO笠原さんが「三笠焼」を差し入れてくれました。表に戦艦三笠の艦影を映し、中身は小倉餡と白餡との二種類があります。
いつの間に仕入れたのやら、紙袋に包まれてよく保温されていましてね。 わたしは白餡の方を頂きましたところ、ほんのりした甘みが美味しかったです。
天気予報どおりに午後から雨降りとなりました 雨具持参の周到さです
雨降りによって路面が滑りやすくなってきましたので、本日はこれにて走了とし、京急帰宅組とJR帰宅組とに分かれ輪行にて帰ることにしました。
ただ一人S山さん(♂)が気を吐き、自走により国道16号線を東上していきました。 後刻の報告により無事帰還したことが確認され安堵いたしました。
以上、次回は11月クラブラン第二部「しみずママチャリライドin草薙」三度目の正直です。どうぞお楽しみに。
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