最終更新日: 2008年2月2日
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観梅サイクリングれぽー

2007,2月11日(日)
川崎~旧東海道~両国~湯島天神~青山

2月11日未明、突然の豪雨に目が覚める。
今日は観梅ラン天気は大丈夫か気にかかるがそのまままた浅い眠りに。朝は一転快晴。今日はサイクリング日和だ。

川崎駅西口、バスロータリーで待機。かつては東芝堀川工場と明治製菓の工場しかなかった川崎西口が300店舗が集中する大型商業施設ラゾーナ川崎に生まれ変わり、休日の朝早くなのに人や車の往来が盛んだ。
9:10早くもMaeさんが自宅から自走、続いてピンさんが輪行で現れる。Oさんも新車で登場。定刻10分前にはものもちのよいWさん、Takaさん一族、初登場??さんも揃い、12名に。
集合時間に現れないNakaさんはどうしたか思ったところで、今!京急川崎にという連絡が入りとりあえずスタート、多摩川にかかる六郷橋上で再待ち合わせに変更。

多摩川の風は結構冷たい。
10:00、13名勢ぞろいになり一路東京へスタート。
車列を避けるため第一京浜に沿った雑色商店街通りなど裏道を
ひたすら北上。鈴が森で第一京浜を横断し旧東海道のコースを変える
ここが梅の見所荏原神社(新馬場)に到着。
●荏原神社
目黒川にかかる朱塗りの橋に映える紅梅が見事だ。
さあこれから記念撮影という瞬間数十名のご婦人ウォーキング団体が出現し断念。
●品川富士
すぐそばの品川神社に向かう。京急からも行く見える神社横の富士塚、通称品川富士に全員登頂。
さらに第一京浜を北上、東京マラソン復路ではランナーが苦しむ品川八つ山橋の登りも今日は快調だ。
品川駅を過ぎたホテルパシフィック付近で前がいやの騒々しい。そうだ今日は建国記念日だった。
街宣車の集団がパトカーに先導されゆっくり行進中であった。
●泉岳寺
12月14日の赤穂浪士討ち入り前後ではないのに結構人出が多い。
本堂そして四十七士墓所を参拝する。特に小野寺十内はひょっとしてご先祖様?ここは念入りに

●銀座通りを自転車で占拠
12時少し前八丁目に到着。車止めが中央通にかけられている。
今日は連休で歩行者天国なのだ。まだで足が鈍くそれほどの人出でもない。
4丁目にむけて道いっぱいに広がって歩く。
4丁目交差点から再び晴海通りを自走。勝鬨橋をわたり清澄通りへ左折。
両国へ向かう。結構北風が強く、車列は伸び気味。信号待ちで後続が
離れてしまった

●吉良邸跡
赤穂VS吉良ということでこちらも参拝。ミニ公園で当時の吉良邸は想像できない。
刃傷事件後隠居して呉服橋門内から当時は新興住宅地であった。本所松坂町へ屋敷替えになったそうだ。わざわざ警備の甘い地域へ移すなど結構幕府も討ち入り裏工作をやっていたのかも??

●スーパーサイクルいちかわ
ここでちょっと小休止。パーツが無造作に置かれている。
10分の予定が!!レアものに皆さんくぎ付けで自転車談義に

●江戸東京博物館
13:10ごろ到着。
1階玄関チケット売り場は超満員。3階の方がすいているという案内で吹きさらしの中に
目的の特別展江戸城は40分以上待ちとのことで11名は断念。軽食も中ではできなかったそうだ。

MaeさんとFujiは常設展に突入。漫然と見学するのとボランティアのガイドさんがいるのでは大違いだ。大田道灌に始まった江戸城が徳川家康により巨大都市に生まれ変わったこと、
 ・西の比較的高台に武家屋敷70%、東の低地埋立地に商人や寺社15%
 ・北の守り寛永寺は鬼門、南は増上寺、日枝神社が裏鬼門
 ・日本橋が最初の商業地、そして魚河岸であった。今の築地は関東大震災後に移設された。
 ・なんといっても都市はライフライン。
   神田上水、玉川上水を水源とする水道、地下に水道樋を埋設、水道枡(井戸)から
   汲み上げる設備が整えられていたのだそうだ。
   汐留の再開発で仙台藩伊達屋敷跡から水道設備が発掘され実物も残っている。

等々説明を受けているうちに、見る見る時間が過ぎ、お楽しみは次回にということで江戸東京博物館を後にした。ぜひガイドつきの見学をお勧めする。

●湯島天神
梅より人のほうが多いほどだ。本堂へのお参りも一苦労。場違いなチンドン娘の
ミュージックにしばし唖然とする。交代で威勢のいいお姉さんたちが舞台に向かう。
残念奉納白梅太鼓を見逃した。
さあ次は一路ゴール青山へ!!
後楽園横を抜け外堀通りに出た飯田橋付近で、Oさんが突然ストップ後輪ブレーキワイヤーが外れてしまいました。ちょうど1年前を思い出します。
修理調整で小休止、後は一気に青山に。

●青山
ここで総勢14名勢ぞろい。??君も大人の経験をしたし長い夜の始まりでした!!

                     Fujimoto