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コミュニケーション>プライベートランれぽーと>2009年4月沼田から新潟駅 | ||||||||||||||||||||||||||
弥次喜多道中【前編】2009年4月三国峠を越えて O湖&N沼 さて湖と沼の相性はいかに? |
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H21年4月18日~20日
「5月の佐渡ロングライドに向け、坂道のトレーニングを猿ヶ京近辺でやって見る気はありませんか。良い坂が沢山ありますよ」S石さんからのご提案があり、今回の2名で弥次喜多コンビを組むことになりました。 当初の予定は、初日、沼田から猿ヶ京温泉へ。翌日は、O湖さんの長年の懸案であった三国峠越えを果たし、湯沢で温泉に浸かり、一杯やって帰途に付くことでした。が、折角出掛けるのだから、もう一泊して新潟まで足を延ばし、日本海を見て帰ろうということになりました。 4月18日(土) 沼田は河岸段丘の上に築かれた町。スタート早々から相当の登り、度肝を抜かれる。 次に向かうのは沼田IC北東の望郷ライン道の駅「川場田園プラザ」。ここは関東一の売り上げを誇るとのこと。単に地場産品を並べているだけでなく、広い敷地に老若男女の興味を引く施設が点在。場内の桜も今が満開、西に上州武尊岳を望む。ここで昼食を摂る。 |
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ひと時の休憩の後、後閑方面を目指し南西に向かう。この辺りからアップダウンが始まる。結構きつい、一向にハイオクや添加剤の効果が現れない。
少しクラクラする。しばらく行くと公園あり、一休み。標高が高いこともあり、未だ桜が随所に見られる。桜の下に花見客が集う。ここから先、後閑までは池田、三峰山の二つのトンネルを経て下りが続く。 三峰トンネルの手前から北を望むと雪を頂く日光白根山(多分?俺らーしらねー)。 後閑を西に少し登るとまもなく上毛高原駅。新幹線で通過するのみで、駅を外から見るのは初めて。山の中の殺風景な駅のイメージであったが、思いの外の賑わい。これから先サイクルスポーツセンターまでは登りがつづくとのS石さんの説明あり。ほどなく現実となる。 |
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今日の宿はS石さんに提供して頂く、温泉掛け流し付きの別荘。到着後、荷解きもほどほどに酒とつまみの買出しに行く。
弥次さん喜多さん温泉でいい気持ち。食事はS石さんにすべてご面倒を掛ける。こごみやうどの春山菜、地元の豆腐などなど。S石さんご夫妻、娘さん、孫娘のさくらちゃんとの楽しい食事。掘り炬燵を囲んで自転車談義に時間の経つのを忘れる。 猿ヶ京近辺には、匠の里をはじめとする施設や魅力的な峠道が多々ある。機会があったらまた来てみたい場所です。 本日走った距離; 46Km。 |
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4月19日(日)
今日はいよいよO湖さん念願の三国峠越え。 9:30S石さんご家族とお別れし、朝日を背に受け出発。 日曜の17号線は想像していたより交通量が少なく、トラックに脅かされる心配も危惧に終わりそう。猿ヶ京より三国峠までの道程は約14キロ。カーブの数55箇所。緩やかな登りが連続する。風は斜め左後方より吹いており、追い風である。助かる。昨日、自転車を押して登る坂道を経験しており、それと較べると楽チン。 幕末の英雄河合継之助が志を抱き、江戸へ向け雪を押して越えた峠。感慨深い。三国峠には戊辰戦争の戦跡が多い。坂の途中に、官軍との戦いで死んだ会津白虎隊の若い兵士の墓あり。出発から2時間ほどで、峠のトンネルに到着。記念撮影。 |
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トンネルの中は風が冷たい。漏水の泥濘や路面の荒れは少ない。先の出口が見通せるためなんとなく安心。トンネルを抜けるとさすが残雪が多い。気温も入口側より低い。これよりしばらくは下りの連続。あっという間に苗場へ到着。
手ごろな食堂を見つけラーメン、餃子の昼食。ビール少々。苗場も今シーズンは客足が少なく、例年の半分、景気が悪かったと店の親父の話。苗場から湯沢へはほとんど下りであるが、途中二つほどの小さな峠あり。今日は当初予定では小出までであったが、思ったより快調に来たので、小千谷まで足を延ばすことになる。 雪の無くなった湯沢のゲレンデ、雪を残す八海山を横に見てひたすら北上。 部屋に荷を置き、早速ホテル隣の赤提灯(店の名前が)で反省会に突入。 本日の走行距離; 101Km |
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4月20日(月)
最終日、今日は弥彦を経て新潟を目指す。9:10ホテルスタート。信濃川の左岸を北上。17号線は信濃川の右岸を走っている。関越自動車道を右や左に見る。今日は北風が強く,先導のO湖さんは大変。N沼は大柄なO氏に隠れながらペダリング。寄らば大樹の影の諺通り。昔の人は偉い。 出発から1時間余。信濃川の土手越しに長岡の町並みを右に遠望する辺り。前を行くO湖さんの後輪からシュツ、シュツ音。「O湖さん、変な音がしてますよ」。O湖さん後ろを振り返るのと同時に。パン!!タイヤが破裂する音。道路脇の農道に自転車を持ち込み分解。タイヤのサイドウオールが破けている。針金が二本裸になっている。チューブも裂け修復不可。重症とのこと。古いタイヤに空気圧を掛け過ぎたのが原因らしい。N沼の診たてでは、古いものに過剰な慈しみや愛着を感じ過ぎたのが原因??? 幸い10分程のところに自転車屋があることを教えられる。自転車屋のおやじに状態を告げると店の前の古タイヤの山から26WOタイヤを取り出し、これを使えとぶっきらぼうに言う。未だ十分使えそう。もちろんタダ。おやじが神様に見える。店先を借りタイヤ交換。 |
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10キロほど行くと分水(ぶんすい)と言う町あり。駅前の食堂で弥次喜多ともカツどんとビール少々。呼吸がぴったり合ってきた。同じものだと割り勘計算が簡単の利点あり。カツどんは非常に美味であった。
休憩後弥彦神社を目標に北上。ここから弥彦までの道は更に北風が強く、トラックも多い。体力と神経を使う。 弥彦神社到着。参拝後、饅頭屋の店先ベンチに座り弥次喜多並んで饅頭を食す。
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一服後、新潟駅に向けペダリング開始。さすが尻が痛い。未だ皮は剥けていないが、血を吹くかもしれない。日ごろ尻を鍛えるにはどんなメニューがあるのか。北風は少し穏やかになり、負担が軽くなってきた。ひたすら走る。新潟駅の方向標識が現れる。標識を見てから駅までの道程がすこぶる長い。
関屋分水路の河口から海岸に出る。待望の日本海だ。空はどんより曇り日没は見られそうもない。海岸に降りられる場所を見つけ記念撮影。砂浜に沖に向けてベンチが転々と置いてある。寄居浜は有名なサンセットスポットらしい。座っているアベックは一組もなし。しかし、駐車場を見ると何台もの乗用車が皆沖に向いて並んでいる。中は若い男女か。覗いてみる興味も元気もなし。歳のせいか。 |
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信濃川に架かる万代橋を渡り、すっかり暗くなった古町通りを抜け 18:30ゴールの新潟駅到着。
銭湯に入り旅の垢を落とそう。O湖さん電話帖を調べる。月曜はこの一帯の銭湯は休業が大半。電話をすると1軒だけ開いているとのこと。駅の案内図で大体の場所を確認し走る。しかし行って見ると休業。騙されたのか。電話口に出た人の勘違いか。やむなく駅に戻り自転車分解作業。 |
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O湖さんは念願の三国越えが叶ったこと。N沼は通算250Kmの距離を経験し、佐渡ロングライドに向け体力、気力共少しの自信を得たこと。経験豊富なO湖さんにいろいろ教えていただき勉強になったこと。それに何といっても楽しいツーリングが出来たこと。成果の多い3日間でした。
きっかけを作って下さったS石さん有難うございます。 本日の走行距離; 103Km Naganuma |
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