このあいだから自てん車にのれるようになった。さむい風といっしょにどんどんはしる。
みんなはなつやすみくらいからほじょりんなしでのれるようになって、いろんなところに行っているけど、
ぼくはふゆやすみにやっとのれるようになった。はじめは右と左のほじょりんが上にまがっているので、
はしるとき、そのほじょりんをうかせて、うしろのしゃりんだけではしった。そのあと、おとうさんに右の
ほじょりんをはずしてもらい、はしってみるけど、どうしても左のほじょりんといっしょにはしってしまう。
あまりいみがないから、左もとってもらった。ペダルをぐ−んとふむけど、もうひとつのあしはなかなか
ペダルでふめない。もうひとつのあしがすぐじめんについてしまう。おとうさんにうしろのにだいをおさせて
もらって、おしてもらう。手にしっかりちからをいれたり、ペダルにちからをいれたり、ふらふらしてむずか
しい。
つぎの日、りょうほうのあしがペダルをふめるようになった。わがしやさんのあるでんちゅうまで、なんか
いもくりかえした。そのつぎの日はブロックベいのあるうちまで。そのうち、りょうほうのはしがペダルに
のって、まっすぐはしらないけど、ふわっとするかんじがとってもおもしろくなってきた。つぎはあそこのさん
かくのかどまで。もっとながくはしるのはスピードをはやくしないとつづかない。ふゆの風よりもつよいスピ
ードをだす。そらの先に見えるハネダからのひこうきにおいつくかもしれない。
自てん事はたのしい。これから自てん車にのって、ほんもんじまで行けるかな。たまがわまで行ける
かな。おおきくなったら、いなかまでゆけるかな。がいこくにも行けるかな。
[補記]ヨコハマミナトサイクリングクラブ30周年に寄せて、わたしは、東京、中国、大阪と転勤し、
不景気が定着するなかで、いま皆さんと同じ、目まぐるしい、難しい世の中に暮らしています。
わたしはここ数年自転車依存症を患っています。20分くらい走ると北摂の山の中という環境に
加え、自転車に乗ること、愛車をいじること、眺めること、実現されないだろう新しい自転車の
アッセンブルを空想すること、、、、
それがストレス解消となっています。この依存症というビョーキいや、クスリの原点はなにか、30ン
年前の原点を書いてみました。自転車に乗るという単純な行動に集まったYMCCのかたがたも
同じ原点をもっているのではないでしょうか、