2011年4月
岩宿遺跡とサイクルトレインの旅
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基本データ

クラブラン実施日 2011年4月17日(日)
クラブラン名称 岩宿遺跡とサイクルトレインの旅
コース概略 JR本庄駅発→国定忠治の墓→岩宿遺跡(昼食)→上毛電鉄西桐生駅(サイクルトレイン)→上毛電鉄中央前橋駅→JR高崎駅(解散)
集合場所 JR高崎線本庄駅 9:30集合、10:00出発
クラブラン担当者名 W田(達)
レポート担当者 N久
参加者 W田(達)、O湖、T本、S石夫妻、T桑夫妻、M山、M川、S原、N雲、H立、H本、N久 14名
天候 晴れ

レポート本文

はじめに
出発前、今回のコースを選んだ理由を企画立案者のW田(T)さんに聞きました。わたくし的には岩宿遺跡がメインだと思っていましたが、少しマニアックな気がしたからです。答えはサイクルトレインの体験をしたかったとのことでした。納得。

本文
天候は晴れ。車窓には花桃と思われる赤、ピンク、白の満開の花が次々とあらわれ、申し分のないサイクリング日和でした。
今回のサイクリングでは、不思議とポイント、ポイント間の記憶が薄い。ただひたすらに、普通の一般道を走った気がします。各ポイントの印象が強かったからだろうか。

JR本庄駅
横浜から高崎線、東北線への直通便(東海道→高崎線、横須賀線→東北線)ができて、北関東への旅は格段に便利になりました。横浜から本庄駅は、うまくいけば乗り換えなしで行ける(今回は乗り換えあり)。私は、横須賀線なので大宮乗り換えとなる。

国定忠治の墓
田圃の中の養寿寺にあり、国定忠治と同性の墓がいくつもある。碑によると国定忠治は庄屋の御曹司らしい。残念ながら、国定忠治が何をした人なのかは知らないが、お守りにするために、墓石が削りとられていた。かけごとに強い人だったと聞いた。
養寿寺の入り口には立派な樒(しきみ)の木があり、花が満開であった。

岩宿遺跡
日本には、旧石器時代はなかったとされていた時代に、一人の青年が、納豆売りの途中、旧石器時代と思われる石を関東ローム層の中に見つけた。その石が旧石器時代の石器と認められる可能性は小さかった。それから3年、地層年代からもほぼ確実な石器を探し当てた彼は、明治大学の考古学教室とともに本格的な調査に着手した。彼の名前は相沢忠洋。
この遺跡は後期旧石器時代に相当する。現在日本には前期/中期旧石器時代がなかったとする説が有力である(正確には、前期/中期旧石器時代があったとする直接証拠は見つかっていない)。

岩宿遺跡には、立派な博物館があり、申し込めば職員の方が案内してくれる。2時間は必要という館内を30分でお願いしたところ、本当に30分で説明をしていただいた。時間のない中、質問にも丁寧に答えていただいた。いろいろな石器の展示があったり、その製作工程が説明してあったりで、確かに2時間は必要かも知れない。マンモスのレプリカ(歯は本物)もある。石器を作るイベントもあり、いつかは石器作りに挑戦したい気持ちにさせてくれる博物館でした。


サイクルトレイン
普通の2両連結の電車であるが、自転車を押したまま電車に乗ることができる。電車を乗せるのは、後ろの車両であるが、ワンマンカーなので前の車両の一番前のドアから降りる。お客さんは慣れたもので、前の車両を通って一番前のドアから出ていく。満員のときはどうするのだろう?

帰路
上毛電鉄中央前橋駅からJR高崎駅までサイクリングし、JR高崎駅で袋詰め乗車。
車窓には、花桃が次々と現れては消える。大宮で横須賀線直通電車に乗り換えて、無事保土ヶ谷駅に到着。家内に迎えに来てもらう、感謝。

おわりに
いつものことながら、企画立案、先導していただいたリーダーに感謝。
私は、7月のクラブランの企画立案の担当となっています。参加者の楽しめるクラブランにしたいと思っています。

以上

- N久 -

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