2010 早春沖縄サイクリング
2月27日〜3月2日
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レポート本文

2月とはいっても暖かい沖縄。
今回は冬でも暖かい沖縄で大いに走るとともに、最近話題になっている所を訪れ状況を肌で感じることを目的とした。以下沖縄本島中部と伊江島サイクリングのレポートを報告します。


2/27( 土) 那覇空港〜那覇市内( 宿) ( 走行 9km)
 本日の午後の便で沖縄に旅立つ。
沖縄到着が18:30 なので今日は宿への移動のみとなる。


利用した便がジャンボ機だったため乗客数が多く那覇到着後荷物受け取りに時間がかかってしまった。19:30 空港ターミナルの外に出るとむっとする暑さを感じる。外は暗く小雨も降っている。寄り道はせずまっすぐ宿へ向かう。今日の宿は沖縄県庁近くであったが、なかなか分かりにくい。途中の商店に道を聞きながら20:00 到着、チェックイン。


以前泊まったことのある宿ではあったが、近年新装移転とのことであった。きれいですばらしいが、泊まる部屋はゆんたくコーナーとは別棟。以前のように自然に語らいの輪ができる状況ではない。那覇市内ではそれが普通なのかな、と思ってしまう。


宿の方に店を紹介してもらい食事にでかける。宿から1km ほどのところにある「安そば」で野菜チャンプルー定食とそばをいただく。
近所の人も立ち寄り食べたり持ち帰ったりしておりなかなか繁盛している。


帰り道、沖縄では貴重な銭湯の場所を確認する。「日の出湯」は日・木曜休み、15時〜 21時までの営業、料金350円とのことである。最終日空港へ行く前に立ち寄ることにする。


宿に帰るとテレビが地球の裏側で大きな地震があったことを伝えている。家族から「津波に気をつけて」とのメールが入った。そういえば沖縄でも本日早朝大きな地震があり一時津波警報が出た。道を聞いた商店のおじぃも「大きな揺れでびっくりした」とのことであった。23時消灯。



2/28( 日) 那覇市内〜本部港〜伊江島 ( 走行 64km 途中バス輪行、フェリー)


7 時前には出発する予定であったが、昨日就寝前の泡盛の余韻とオリンピック女子パーシュート決勝のため7:30出発。本当におしい準優勝であった。
今日は昨日とは異なり天気は良い。閑散としている国際通り近くのアーケード街を進み那覇市街を離れ、一路普天間を目指す。途中パイプライン通りと呼ばれる道を進んだが、これがすごい。何がすごいかと言えばアップダウンである。ほんとこんなに急な上り、下りがあっていいものかと思うほどである。スピードを出した車はきっとジャンプするに違いないと思う。パイプライン通りとは地下に米軍の送油管が敷設されていたことに由来するとのこと。中でも浦添市伊祖地区は今回最大の激坂であった。ただ、頂からは良い景色を眺めることができた。


普天間に近づくとまた徐々に勾配が急になってきた。話題の普天間基地は高台にあるようである。基地の南側は低くなっていて基地内を望むことはできない。同じく南側にある公園の高台に登ってみたが、基地方面は木が繁茂していて残念ながらここも眺望はきかない。

公園内では近所の方なのか5、6人集まりこれから宴会が始まるようである。私も参加したい衝動にかられたが、今日の行動が始まったばかりなので参加は控えた。基地沿いに進むと国際大学があった。以前ヘリコプターが墜落したところである。基地周辺は那覇市街と比べれば大分のどかではあるがそれでも多くの住宅地がある。フェンス一つ隔てて住宅地という具合である。基地の東側は高台になっているので基地内を覗けるかなと思ったら、残念ながら人工的な丘によりやはり基地内は望むことはできない。結果としては地上で生活している範囲では基地内は見えないようになっていることがわかった。


普天間を抜けると今度はキャンプ瑞慶覧( ずけらん) の中を突っ切って嘉手納へ向かう。
基地内の中を走っていて感じるのは「基地は本当に一等地に存在している」ことだ。
広大で条件の良い場所が基地として使用されている。それが沖縄のここかしこで見ることができる。将来の良い活用法を想像しながら走った。


嘉手納基地。またこれが広大である。基地の東側を走っていると戦闘機が三機並んで金属音を発しながら駐機しているのが見えた。


カメラに収める。ぐるっと基地を回り込み道の駅近くの高台に登ってみる。さきほどの戦闘機が移動して間もなく離陸のようである。普天間では離発着はなかったので日曜だからかなと思ったら、やはり曜日は関係ないようである。大型のプロペラ機に続いて戦闘機が轟音をとどろかせながら飛び立った。続けて空中給油機。ここは日本なのかと疑わざるを得ない光景である。


ここでのんびりしすぎたので本部港15:00発のフェリーに乗るため途中バス輪行することにした。

予定していたコースとは反対方向に進み高速道路のバス停を目指す。ほどなく沖縄北IC バス停に到着。20分ほどでバスが来るようなので大急ぎでパッキングする。
ペダルも外さず最小限の作業とし、最短記録を更新する勢いで作業完了した。ほどなくバス到着。「少し早いな」と思いながら自転車を運転士後ろの荷物スペースに積み込みほっとする。


バスは発車しインターから高速道路に入る。ここでよく気をつけておけばよかった。2 つほどバス停を過ぎたあたりで大変なことに気が付いた。
どうもバスは逆方向に進んでいるのである。
あまり大騒ぎすると恥ずかしいので、そっと次のバス停近くで降車ボタンを押して下車した。「何たる不覚」である。乗車したバス停は上りも下りも同じ場所であったが、下車したバス停は高速道路のあっちとこっちに分かれている。大汗をかきながら自転車を担ぎ大回りして下りのバス停へ移動した。


1 時間と1,000 円のロスである。あきらめて待っているとやっと下りのバスがやってきました。
14:15 分名護バスターミナル到着。フェリー乗場までは20km ほどあるので、もう15:00発の便には間に合わない。


ひとまず宮里交差点近くの宮里そばで昼食をとることとした。そばを食べながらテレビを見ているとなんと全国的に津波警報が発せられている。これは大変だ。ということは15:00 の便は遅れるかもしれない。本部港のターミナルに確認したら案の定、出航を見合わせるとのことであった。三枚肉そばとライスを食べ終えると早速出発。


海岸沿いの道を少し急いで進むと左側には海が大きく広がっている。と、展望台に消防車が止まり消防士と思われる人が数人海の方を見て津波を警戒していた。ほんとうは私自身も海岸沿いの道路を走っている場合ではないのかも知れない。でも気を取り直して前へ進む。本部港に近づくと港の沖にフェリーが停泊している。万一に備え沖に停泊しているとのことであった。


15:40 本部港到着。出航には間に合ったが、出航時間は未定とのことである。しかし今日中には出航するということで往復の乗船券を購入する。港の待合ロビーは週末を本島で過ごし伊江島へ帰る人たちでいっぱいであるが、緊迫感はない。私はロビー付近をうろうろして、まるで動物園の動物状態となってしまった。


ということで今度は港近くの「みなと食堂」に移動。コーヒーをいただく。ここはよかった。話は面白かったし港の様子もよく見える。待っている時間は苦にならなくなった。
そうこうしていると沖に停泊していたフェリーが港に向かって動き始めた。このタイミングで夕食用の焼きそばを注文。大盛りやきそばとコーヒーで500 円也。お礼を言って店を出る。

すでに乗船は始まっており自転車を押して車両甲板に進む。自転車を係りの人に託してデッキへ上ると島へ帰る人たちでごった返している。客室内は7 〜 8 割程度の込み具合。気温も暖かく夕陽もきれいに見えそうなので通路にレジャーシートをささやかに広げ、陣取る。乗船時間はわずか30 分。
出航するとフェリーは伊江島へ向けて速度を上げる。途中予想どおり夕陽がきれいに望むことができた。


伊江島の港に着く頃には太陽も沈み暗くなってしまった。途中のコンビニで飲物とつまみを購入し、本日の宿「土の宿」へ向かう。
19:30なんとか宿に到着。宿のスタッフの方たちに心配をかけてしまいました。この宿素泊まりで¥2,000。さぞかし貧相な宿かと思っていたら、さにあらず。素敵な宿でした。
オーナーご自身障害者であり障害者の自立を促すための施設を目指してこの宿を創ったとのこと。なるほど建物のつくりがゆったりしているはずである。
オーナーやスタッフの皆様、宿泊の皆様、そして飛び入りの近所の方たちと囲炉裏をかこんでゆったりとした夜が過ぎていきました。



3/1( 月)  伊江島島内一周〜本部港〜名護 ( 走行 56km)


今朝は天気が良く外の日差しがまぶしい。昨晩の余韻が十分に残っている。
みなさんそれぞれ自分の時間を楽しみ、また、仕事にいそしんでいる。
宿の裏方は畑になっていて野菜の苗がきれいに並んでいる。

今日は伊江島を回ってからフェリーで本部に戻り名護で宿泊である。
荷物は宿に置かせていただき、皆様に挨拶をして出発。最初は宿のすぐ隣にある戦争資料館に立ち寄る。戦争に翻弄された伊江島の過去と現実を垣間見る思いである。


伊江島を時計とは反対回りにのんびり走る。途中観光スポットに立ち寄るが、私としては何でもない見晴らしのよい海岸の方が印象に残っている。ピーナッツのような形の島をぐるっと回りたいが、島の北西は米軍基地のためそこを避けて行かねばならない。最西端の灯台に至ると広い海が広がっていた。
特徴的な城山に登ろうか否か迷っているうちに港に到着。
ちょうど昼時のため沖縄そばタイム。食べ終わって時間を見ると宿に戻っても何とか次のフェリーに間に合いそう。城山登山は次の機会にすることとし、急いで荷物を取りに宿に戻る。


宿に戻ると誰もいません。ゆったりと風が流れ、のれんだけが揺れていました。誰もいない宿にお礼を言い辞す。フェリーに無事乗船。再度30 分の船旅となりました。


今日は静かな本部港。ここを出発するとサイクリスト発見。フル装備で見るからに日本一周モード。しばらく話に花が咲いてしまう。残念ながらコースが違うため挨拶を交わしてここで別れる。


昨日通過した名護まで同じルートで戻るのも芸が無いので今日は半島の中ほどを回る。
当然海岸線とは異なりしだいに勾配が急になってくる。途中なにやら施設の案内があるため横道にそれてますます急な坂道を登る。着いたのは宗教団体の展望台を併設した戦没者の慰霊施設であった。どうにも場違いな雰囲気でパス。


この後も来た道には戻らず結局本部岳頂上まで登ってしまった。曇りで風が強かったもののさっきまでいた伊江島を見下ろすことができた。
途中ガラス工芸施設立ち寄りながら本日の宿に到着。名護市役所近傍の民宿「南海」。
予想していたとおり愉快な宿であった。

本日の宿泊客は15 名ほど。すべてサイクリストであった。T 大サイクリングサークルのグループと荒川区から来たおじさんサイクリスト。
もっと話に花が咲くかとおもったら以外と皆さん内向的で食後はグループ固まってどこかに行ってしまいました。ということで私は民宿オーナー夫妻とゆんたくを楽しむ。「これからは大人の時間さー」とさしみも登場。「T 大のみんなは何か遠慮してるね、オレだったらメチャメチャ自慢するよー」と大笑い。

今日は早めに就寝。


しかし、0 時頃T 大のみなさんが部屋に戻った模様。通常のボリュームで会話を始める。たまらず「時間を考えろ」と一喝。さすがに常識を持ち合わせているようでひそひそ話しとなった。
今度はゆっくり眠れると思ったら、今度は「オェ〜〜、オェ〜〜」と苦しそうなうめき声。



3/2( 火) 名護〜辺野古〜那覇 ( 走行 109km)


今日は最終日。7:30 に朝食をいただく。荒川区のサイクリストおじさんとしばし歓談。結局T 大の皆さんとは顔を合わせず出発。


本日は本島を横切って辺野子地区に立ち寄り南下。那覇がゴールである。
本来ならば幹線道路で辺野古へ向かうところであるが、より細い道を選んで走り出す。狭いだけではなく勾配もかなりきつい。ほどなく名護の町が眼下の景色となってきた。
細い道ではあるが車が十分通れる広さはあり、蛇の心配はない。取り越し苦労かもしれないが、沖縄の山道ではそれが心配です。


山を越えて海岸に到着。山が海岸まで迫っている大浦湾。近くでは公共設備( あるいは道の駅) と思われる建物や湾を越え山を貫く大規模な土木工事が進められている。ここは辺野古に隣接する地域である。
湾に沿って進み一山越えると辺野古地区に入る。気がつけば海側は米軍基地・キャンプシュワブ。ほどなく市街地に到着した。市街地とはいっても賑わいはなくひっそりとしている。


辺野古の海岸へでてみるとそこは沖縄のどこにでもありそうな海岸である。
ただ違うのは海岸の途中に鉄条網がありそこから基地側へは進めないようになっているだけである。
海岸はきれいであるがいろいろな模様がついている。なにかの足跡。やどかりのようである。しかし今は見当たらない。ためしにしばらくじっと立ち止まってみるとなんとあちこちでヤドカリが動き出すではないか。しばらく見入ってしまった。
テレビでは「普天間基地は国外。最低でも県外」と言っているが、どうもキャンプシュワブ内では重機が動きまわり何やら建設、あるいは撤去の工事が進んでいるようである。


これからどういうように進展するのか重い気持ちで辺野古を後にした。
那覇を目指して谷や丘を越えて沖縄本島中部、東海岸を進む。丘の上の交差点にサイクリスト集団が一休みしている。近づいてみるとなんと昨晩同宿だったT 大生諸君であった。かなりばてているようであった。昨日の余韻が残っているのかもしれない。向こうも気がついて挨拶を交わして分かれる。


昼食の時間には早いが沖縄そばの看板があったので立ち寄ることにする。

そこはなんと「沖縄自転車」に登場した店であった。店主が「この本に紹介されているんですよ」と本を持って来てくれた。本の中に登場する店の記憶があったが、偶然にもそこに訪れることができたわけである。
そう言えば昨日本部港近くであったサイクリストが瀬底島の喫茶店に寄ったら「カベルナリア吉田」( 沖縄自転車の著者) がさっきまでいたとのこと。世の中広いようで狭い。おいしくそばをいただく。


食後は店主に紹介された道を進む。しかしこんどは雲行きがおかしくなってきた。事前に調べて幹線道路を外して進むが、それは当たりもあればはずれもある。のどかな道や生活に密着した好ましい道もあれば狭い道をトラックが行きかう極悪な場合もある。この日も両方あったが、どちらかといえば当たりの方が多かった。


那覇の町に近づくとぽつぽつ降り始めた。途中識名園に立ち寄ろうと思っていたが今日はパス。銭湯・日の出湯を目指す。初日に確認済みのため難なく到着。近くのコンビニでシャンプー兼用の石鹸を購入して銭湯へ。番台には若い娘さんがいたので「今日は若いオバーだね」と言ったら苦笑されてしまった。( 下見の際は本当のオバーだった。)


沖縄スタイルの銭湯。もう経験済みなので驚きはしない。
言葉で説明するのは難しいがこんな具合である。入り口を入って正面は番台。左右に男女別の入り口が分かれている。ここまでは同じである。
入り口を入るとそこは更衣室、浴室と合わせて一室になっているのである。更衣スペースと入浴スペースの境目は水が止まるようにするちょっとした段差があるだけである。浴槽は小さめで、数人はいればいっぱいである。お湯が出る蛇口は高い位置についていて体を洗う際は立って洗う。頭を洗う場合は高い位置の洗面台の穴から流れ出るお湯を使う。
慣れればなんでもないが、最初はどのように使っていいのか迷ってしまうつくりである。


一日の汗をすっかり流して国際通りの「まんじゅまい」へ向かう。一日目の宿に紹介された店で、国際通りの一本裏通りにあり観光客も来るが地元の人も食事に訪れる店であった。


打ち上げを兼ねた夕食後は暗くなりなり始めた中、のんびり走り空港に到着した。


2 月とは言っても暖かい沖縄。津波騒ぎもあったが、沖縄に関しては幸い影響もなくほぼ予定通り行動することができた。暖かくて素朴な沖縄。しかし厳しい現実も抱えている沖縄。けっして他人事と捉えてはいけないと感じさせられる旅でした。



- Onodera -


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