フランス西部 1,200kmの旅
2010.05.19.~06.07.
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レポート本文

Nakayama

今年はイタリア半島の脹脛、踝、踵からギリシャに渡り、ペロポネソス半島、アテネ周辺を走る積もりでいたところ、財政危機に由来する社会不安から、ゼネストや暴動が頻発する事態となり、急遽予定を変更した。出発間際まで、アイスランドの火山爆発による噴煙の影響で各国の飛行場が麻痺して、やきもきさせられた。初めに予定した TGV の予約が取れず、コース作りは難航。

4 回目のフランス、ランは昨年に次いで2度目。

トゥルーズからガロンヌ川に沿ってボルドー、そこからバスク地方のドノスティア・サン・セバスチャン(スペイン領)まで走る。

そこから列車でボルドーに戻る。スペイン北西部にあるサンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道はフランスでは 4 本あるが、その内のトゥールの道に概ね沿ってパリまで走る。

「自転車五大陸走破――喜望峰への13万キロ」(中公新書1271、井上洋平1995.4.25)を出発間際に読んだのがよくなかった。 吾が旅がいかにも軟弱に思えてならなかった。しかし彼は彼、我輩は我輩、と思い定めて漸く出発の決意を固めた。
 

■ルートマップはこちら■

1日目 5月19日(水)

NRT 11:50(AF275) CDG 17:15 => 21:15(F7792) TOULOUSE 22:35

機内でのワインはスモークしたペットボトル入り。ここにも改善の波。

市内への終バスも無くなり、taxi で。5 軒目でやっと時化たホテルに 11:45 投宿。

2日目 5月20日(木)

トゥルーズ TOULOUSE ~ S.Ponpignan ~ モアサック MOISSAC 93km

晴、17℃、午後 against

朝4時に起き出して荷片付け、自転車組み立て、地図用意、メーター取り付け台破損。紐で縛ったりセロテープでとめたりして急場しのぎなどして駅へ。

6時からスナックオープンは流石、カフェオレ 2.6€、チーズとハムを挟んだ四角いパン4.4€ は割高。迷いながらも canal 沿いの velo route を探し当てた。

この道は標識がまったくなく、又全線がほとんど同じ景観でどこを走っているのかさっぱり分からない。川獺目撃。運河の効能を確かめながら巡礼の街 Moissac。

3日目 5月21日(金)

MOISSAC ~ アジャン AGEN ~ エギロン AIGUILLON ~ トンナン TONNEINS 104km。
予定は AIGUILLON 93km。

快晴29℃、8時 start。

今日は 113 号線。運河沿い自転車専用道路のほうが安全だが、延々ボルドーまで続くこの道は退屈極まりない。113 号線は国道で危険を伴うが、適度の up down があるし、人間の生活の場を感じる。

AIGUILLON 少し手前で昼食、食べ切れないヴォリューム、ワインも過ぎたか?慎重に走ろう。

大きなプラタナス並木延々、ローマ街道ならん。TONNEINS は田舎町、少し高そうに見えるが Hotel Ville を見つけた。

MOISSAC にも同名のホテルがあった。チェーン店?しかし実際は市役所+公民館、city hall だった。因みにHotel de Police、Hotele de Poste 等もある。

4日目 5月22日(土)

TONNEINS ~ MARMANDE ~ La REOLE ~ CADILLAC(キャディラックは米語読み)。74km。

晴、6:30 start、13 ~ 26℃。

9:00 の check out まで待っていられない。裏口から出る。この事態を見越しての自転車置き場を選定しておいたのは大正解だった。

久しぶりの夜明けラン。しばらくフランス特有のがたがた道、over lay が剥げているのは態とハンプ気味にしているのかも知れない。

MARMANDE は古都、ノートルダム教会など。耕作放棄地はゼロ、較べてわが国は僭越至極。

La REOLE は坂の街。朝に蛋白質を取ってなかったので力が出ない。9:45 スーパーでチーズ、ハムを買い、広場ベンチで空腹を満たす。

La REOLE は BORDEAUX まで 70km だが、葡萄畑が俄かに増えてきた。10 号線の分岐点が分からず、113 号線をたどり Barsac を経て Cerons から CADILLAC へ渡河した。CADILLAC は城砦都市で、市が立っていた。まだ 2 時だがここで沈没。トイレ、シャワーつき twin.39€。床の半分は傾斜している。

従って 1 bed は傾いているのはご愛嬌か。街を再探検。城の売店で La marseillaise 入りのオルゴール 6€。

5日目 5月23日() 聖霊降臨祭

CADILLAC ~ Rion ~ BORDEAUX 50km。
(BORDEAUX はモンテスキューやモンテーニュらを輩出した。)

快晴16℃ 7:10 start。

CADILLAC とその周辺にはクラシックオープンカーが沢山集まっていた。何かイヴェントでもあるのだろうか。Rion を過ぎてしばらく行くと、30人位の高齢者サイクリストが大型伴走車2台付でスピードを上げていた。後続の車数台はクラクションも鳴らさず追走している。感心。

Bordeaux に入るのに手間取った。地図を読み違えたのと、地図が古いものだったからだ。河の流向を見て正解を得た。壮麗な大都会だ。見るべきを果たして大劇場横階段で昼食。、雀が懐いて来る、可愛いものだ。

Downtown と Centre では人種が違っているようだ。i で指貫 4.5€、道路・YH などの情報を沢山得た。しかし、今日使い、明日と 28 日にも使うべき 1/30 万地図 1 枚を紛失。地図を数種寄せ集めて詳細に検討、取りあえず明日のめどはついた。

アキテーヌ門で H チョコレート 3€、10€ 札を出すと「サンキュー」と言ってスタスタ。駄目!釣りを寄こせ!→7€ 出してきた。油断大敵。

駅前の噴水で休んでいると、男が寄ってきて話しかけてきた。その内我がポーチに手をかけてきたので、ピシャリと叩いてやった。

こんな自転車見たことがない、きれいなフォルムだ、などと 3 回声をかけられた。

6日目 5月24日() 聖霊降臨祭の翌月曜日

BORDEAUX ~ Arcachon ~ MIMIZAN 119km。

月曜日、快晴28度。

BORDEAUX を無事脱出、Arcachon から Sanguinet への 652 号線は平坦、直線。Against で極めて退屈。

Sanguinet 13:00 食事、◎鴨のカルパッチョ。

途中 Tabac で水をもらった。夕食は 1.5km も離れたビーチでスパゲティ・ボロネーズ(我輩の足元にも及ばず)など。

バスク(Basque)地域はピレネー山脈の西端、スペイン(90%)とフランスにまたがる。バスク人の一部は航海術に長けていて、一説にはコロンブスより 100 年も 200 年も前にアメリカ大陸に到達していたという。あのフランシコ・ザビエルもバスク人であった。バスク語は他の言語との類縁性がまったくない。バスク人の機嫌も諸説紛々、

最近はクロマニヨン人(フランス万西部で化石が発見された現生人類で、コーカサイド:白人の祖先ともされている)の末裔ではないかという説が有力視されている。

ゲルニカという町はヒットラーによって徹底的な空爆を受けた。Basque はロードレースが盛んな地域、1day raceクラシカ・サン・セバスティアンは UCI(Union Cycliste Internationale)主催のプロツアーで、唯一スペインで開催される。優勝者にはベレー帽授与。バスクはベレー帽発祥の地。

7日目5月25日(火)

MIMIZAN ~ バイヨンヌBAYONNE 108km

曇り → 晴、17 → 34℃

MIMIZAN の中心、教会のある広場に面した bar で朝食。クロワッサン、フランスパン、バター、ジャム、蜂蜜、オレンジジュース、ココアで 6€は安い。

LEON 11:00 カールフールで買い物を終えて出てくると晴24℃。今日は終日広大な松林。LEON 付近は Armagnac と Tursan の広告が目立つ。Vieux-Boucan で小休、昼食は教会のベンチで。

Bayonne 手前で山が見えてきた。ピレネーか。それなりに up-down が始まる。Bayonne の i で眼鏡紛失に気づく。駅横の無星 H、外観と室内は小奇麗だが、廊下や階段はこれ以上汚く出来ないほど、床鳴りしきり。駅前で 2 人野宿、マットも持参、巡礼者らしい、較べてみれば無星ホテルでも我輩は天下人だ。生乾きの下着を干し直そうとしたら、ない!しまい忘れか?

街を一巡、川の流れはさすがに速く澄んでいた。教会の中に自転車を入れた。そんな油断ならぬ空気が漂う。

8日目 5月26日(水)

Bayonne ~ Biarritz ~ Bidart ~ Saint-Jean-Luz ~ Ciboure ~ D.S.S. 76km

正式にはドノスティア(Donostia)、通称サン・セバスチャン(San Sebastin)、この地方ではひとつの町にふたつの地名がある。バスク語とフランス語またはスペイン語。

DSSは小さな街の印象だったが、とんでもない。市街地が連坦。漸くたどり着く。心配した空模様は少しぱらつく程度だ。晴れ間が出ても涼しい。ここは矢張りスペインだ、建物もバルも。駅で時刻表を確かめると変更されていた。明日の予定を微調整。

ペンションは沢山あるが呼べど応えず。i で駅近ホテルを紹介してもらう、部屋は小振りながら清潔。

6時ころから雨、山近く天気は変わりやすいようだ。

MIMIZAN の中心、教会のある広場に面した bar で朝食。クロワッサン、フランスパン、バター、ジャム、蜂蜜、オレンジジュース、ココアで 6€は安い。

夕食は地元民で込み合っている bar、バイクヘルメットを小脇になど客は多彩。駅は切符を入れないと出入り不可。SUICA のようなものもある。しかしカフェ経由なら出入可。

バスクのベレー帽はせんべいのような、円盤のような薄べったいような物。

9日目 5月27日(木)

IRUN ~ HENDAYE、BORDEAUX 20km

曇り14℃ → 晴25℃

D.S.S.12:40 発 Alvia601  HENDAYE 13:04着 →17:22 発 TGV8584 BORDEAUX 19:47着。

久しぶりによく寝た。8:00 部屋で朝食。

ビスケー湾を見たピレネーからの川は澄んでいる。今にも降り出しそうな空模様で動きが取れない。

13:04 の発車まで間が持てない。意を決し、と言うほどのこともないが、10:15 IRUN 行きに乗る。1.5€。

IRUN は見るほどのこと無し。幸いにも i を見つけ、Hendaye への道を聞く。Velo で15分とのこと。駅を過ぎてしばらく走ると Hendaye の街だ。小さな街なので何階回っても時間が余ってしまう。

Bordeaux に戻る。案内書に記載されている Hotel ノートル・ダムは満室、コンベンションがあるのでどこも満室だろうと言いながら近くの 1 軒を紹介してくれた。

空いてはいたが 145€!探せど探せど満室ばかり。駅周辺の安宿ならコンベンションは関係なかろうと、向かう。2軒目、駅前、サンドウィッチ屋が下に入っている、亭主が忙しく働いている、暫く待たされる。シャワー、トイレ、TV 付 30€、何はともあれ有難い。きちんとレシートをくれるのは感心。

タバコの火で大きな穴の開いた毛布、中枠のない便器、212 号室が見つからないと他の客がすぐ出てきて教えてくれる。鍵がうまく開かないと若者がすぐ助けてくれる。

10日目 5月28日(金)

BORDEAUX ~ MEDOC 地方 ~ Macau ~ Margaux ~ Port de Lamarque ~ BLAYE 68km

曇り14℃ 午後晴25℃

ボルドーの街はすっかり分かったつもりで、線路を越えて走り出す。どうも様子がおかしい。逆走している。7km のロス。中心部に戻り、ガロンヌ川の右岸に出るべきだった。

あるべきところに橋がない! 何とかなるだろうと妄想、否、確信して左岸を北上。Margaux 辺りは写真には納まりきれない巨大なシャトーの連続。

案の定 Port de Lamarque から BLAYE にフェリーあり。次航15:30、4 時間待ち。20 分かかると言う。すでに 54 km、時間的には 4 時間以上の遅れ。

次の渡し場は 80km 以上先、メドック地方は有名なワイン産地なのに橋が無いのは不思議。ロワール川には沢山橋が架かっているのに。

電車でボルドーへの戻りを考え、地図にはある駅を探せども路線すら見つからなかった。村に戻って食事、◎ワイン1/4。

15:30 ガロンヌ川は大別して 3 つの土色に分かれていて、ものすごい急濁流で遡上、上げ潮か。渡し賃は人 3.1、自転車 1.6€。本数をもっと増やしても十分需要はあると思った。

結果的には一気にボルドーに戻ったほうが体勢を立て直しやすかった。元に戻ることに抵抗があった。急がば回れ!しかし、これはこれで万事塞翁が馬か。

BLAYE の駅で時刻表を見て PONS まで輪行か、など考えながら探せども駅はなし。鉄道は廃止されていた。i を見付けて駆け込む。バスで St-Andre de Cubsac に出て SNCF に乗換えとのこと。

バスの時刻表をもらう。所要43分。 ホテルを2つ教えてもらった。どちらをお勧め?迷わず従った。i のある中心部から 1km、なかなか良いホテルだ。

BLAYE の街は静かな佇まい。何の変哲もないが、城は規模、保存状態抜群。

11日目 5月29日(土)

BLAYE、PONS、Saintes、S-Jean d'Angely、NIORT 5km

master を叩き起こして早立ち check out。

されど 7:20 と 7:35 のバスは無く、8:30 に乗ることにして、早開き bar Betty、カフェオレで時間潰し。今回の旅は予期せぬ時間潰しを余儀なくされること多し。

そうでもなければのんびりと出来ない性分なのかもしれない。いつも先を急ぐのは性格か生活習慣化か、信号待ちが嫌で急いで渡るのが日常。時間を追っているのか追いかけられているのか判然としないが、時間の使い方時間の配分の仕方など考え直すべきか。

バスは D669 をガロンヌ川とその支流沿いに BORDEAUX 方面に戻る。危うく乗り過ごしそうになった。9:00 SAINT ANDRE de Cubzac 着。電車は 12:30 まで無い。

困った。場合によっては走らずに NIORT まで列車か。駅舎がオープンしたら時刻表を確かめよう。今日中に NIORT に行くには
①BORDEAUXに戻って出直す。
②Saintesに出て2路線
を比較する。

駅員といろいろやり取りの結果は、SAINT ANDRE de Cuzac12:34発、La Rochell Vill 14:33着、14:41 発の TGV に乗り換えて NIORT 着 15:22。

駅に張り出された時刻表、パンフになった時刻表、発券面の時刻表がそれぞれ違う。列車番号を確かめてやっと得心。第一駅の時計が狂っている。これでやっともとの行動計画に戻れる。

青空市で海鮮と骨付き鶏股のパエリア、トマト、赤ピーマン、人参、バナナ、干し杏、干しイチジク、塩漬けレモン、パン屋で水。駅前で昼食。

品よきマダムに乗車番線を確認して待てども列車は来ず。反対車線に入った列車を見送ったらそれが該当車だった。駅は閉まっていて、次発車の有無も分からず。

13:20 駅が開き即打ち合わせ。Velo を持っているから今日の便は無い → split して bag に入れる → それなら TGV を使える。切符をマシンに通してしまったので変更は難しい。

彼女もいろいろ考えてくれた。14€追加で st A de C 発 13:28、 Bordeaux st J 13:51着、14:03 発 Inter City(veloをそのまま持ち込める)、La Rochelle Ville 16:13 着、16:42 TGV に乗り換え Niort 17:25 着。

とにかく忙しい。列車の中で velo をばらして袋詰めしたのは初めてのことだった。BORDEAUX 駅で聞きまわる、1つのホームに 9 ~ 11 番線が入っている。地元民に聞くと答えはまちまち。

駅関係者に聞くのが一番。走り回ってたどり着くと遅発すること 6 分。自転車収納コンパートメントを教えてもらう。検札に来た車掌にお前の velo に施錠して置かないと盗まれるぞ、と注意された。

車中は雨。着く少し前、Rochefort を過ぎたころ少しの間暗く荒れた大西洋を見た。

NIORT は街中にさり気なくローマ時代の遺物が点在していて好ましい。

12日目 5月30日()

NIORT ~ PARTHENAY ~ POITIERS 98km

弱い霧雨 14℃、午後晴20℃

街道でさくらんぼでも拾っているのかと思ったらエスカルゴをだった。吐く息白し。時々ザーッと降る。車があげる雨しぶきがかかる。

今日は日曜日なので開いている店があったら入ることにしている。少し早め 11:30 だが雨宿りをかねて昼食。サンドウィッチと言っても:単なるハムサンドしかない。 注文すると子供にパンを買いに走らせた。12:00 に出てくると雨は上がり青空が覗いている。

POITIERS に着いて先ず予約しておいた YH を探すのが先決だ。i は休み、しかも案内板とは全く違う場所にあった。

青年が親切にも市内地図を手に入れてくれた。極めて分かりにくい場所で、この青年が助けてくれなければ決してたどり着けなかったろう。

YHも場所によりけりだ。探すだけで草臥れてしまうのでは、市内見物も億劫になるし、バルセロナの例もあるように、迷子の楽しみよりも時間の無駄、機会損失のほうが大きい。

YHは4人部屋であるが我輩一人だけ。朝食代、シーツ代込みで17.2€。部屋は清潔で、敷地は広い。市街地まで3キロもある、しかも今日は日曜日でもあるので店が開いているかどうか分からない。夕食は近くにケバブ屋しかなく、ここで済ませることにした。

今日は急勾配ではないが長い updown の連続だった。

ロワール(Loire)地方はフランス中部、1,012kmとフランス最長を誇るロワール川流域、古城が多い。

13日目 5月31日(月)

POITIERS ~ TOURS 20km

雨14℃ 15:00 晴24℃

やんぬるかな、夜来の雨。0.5€のコーヒーを喫す。駅まで 3km 冷雨に震える。8:56 発 TGV で直接 TOURS へ、19.4€。同一時間、同一行き先、列車番号だけが違う 2 本の TGV が同一ホームから出るのは不可解、大の迷惑。

TOURS の駅で velo を組むと左ペダルのプレートの螺子が外れてひん曲がっていていた。ロワール河畔サイクリング、カテドラル、ノートルダム。

夕食は昼食同様、広場に面したレストランで。"I want this glass for souvenior." → "This is gift for your souvenior."、ただで戴いた。大振りのワイングラスも素敵だったが、ホットチョコレートを飲んだ日常的なガラスカップはコーヒー、ワインなど多様性がありそうだ。把っ手が大きく使いやすい。

ここは学生街らしく本屋、画材屋が多く静かな町。日本人にも人気のようで、一組の日本人老夫婦を見かけたほか、YH で女子 2、男子 1 と合った。

YH は一人部屋!!仰天。寝具は清潔、昨夜のは汗臭かったが。デスク、クローゼット、箪笥、ホテルより広い。朝食はパン 2 種、バター 2 種、ジャム 3 種、チーズ、ジュース 2 種、シリアル、ハム、ヨーグルト2種、りんご、オレンジ、コーヒー類数種と豪華。19.44€。

14日目 6月1日(火)

TOURS ~ AMBOISE ~ BLOIS ~ Beaugency 107km

曇 14℃、昼ごろ薄曇 16℃ max21℃

亦も方向を取り違えた。分かった積もりで地図と方位を確認しないからだ。AMBOISE からロワール河を遡上。Chaumont sur Loire の城も眺めた。

BLOIS ではサン・フランシスコ教会、レジスタンス博物館。今日は BLOIS でとまる予定だったがまだ 13:30、顔にぽつぽつ当たるが先へと進む。

11km 走ったところ Suevres の bar で雨宿り。我慢すれば泣き出さなくても済みそうな空模様なのに。

Mer まで 6km、大きな街なのにホテルは無い。降ったり止んだりの中を Beaugency まで強行。Hotel des Vieux Fosse、部屋代23€、朝食 2.5€、駐輪代 4€、計 29.5€。シャワーは室内据え置、シャワーヘッドのボタンで on-off 調整。擦り切れて穴が開いたタオル。夕食までカフェで時間調整。

夕食はしゃれたレストラン、ホテルとの格差が大き過ぎる。

15日目 6月2日(水)

ボージャンシーBeaugency ~ オルレアン ORLIENS ~ Chteaudun 86km
米国の New Orliens はここに由来。

曇、霧雨、霧、12℃、against 21℃

手拭をマフラーにして ORLEANS。ここはジャンヌ・ダルクの街、サント・クロワ大聖堂で J・ダルクの横顔入り指貫 5€。

13 時ごろ薄日、16 時晴。当初は ORLEANS から 154 号線を北上して CHRTRES だったのを、ORLEANS から 965 号線を西行して CHATEAUDUN、そこから 10 号線を北上して CHARTRES へ三角形の 2 辺を走ることにした。CHATEAUDUN とは如何にもいわくありげな地名、明るい街だ。今日のホテルは今回一番だ。

51+朝食 7€。冷蔵庫まで備えている。月とすっぽん、天地の差。

16日目 6月3日(木)

シャトウドゥン CHATEAUDUN ~ CHARTRES ~ ランブイエ Rambouillet 88km

快晴!12℃ → 27℃ 北東風

シャルトルブルー、イル・ド・フランス(Ile de France) Ile=島、豊かな自然と歴史的遺産の宝庫。

大きくうねる大地。シャルトルの 8km 南方から大聖堂を遠望。大聖堂のステンドグラスはさすが、見飽きない。敷地内の見晴台で昼食。

午後からさらに風強し。麦の穂がこちらに向かって大きく揺れる。10号線は兎にとっては魔の街道。90km/h を守る者無し、路側帯無し、110km/h 区間は広い路側帯あり。

この国では集落間が 15km 以上が当たり前で、雨宿りに苦労する。

ついにズボンのお尻が破けた。ランブイエにて明日のパリ入城を控えて、駒を休めよう。黄色マークの街だからホテルはすぐ見つかるだろうと思ったが、やっとの思いで漸く街外れのホテルへ。

Chateau de Rambouillet は 1975 年第 1 回サミット会場、現在は大統領避暑地や迎賓館。未使用時は庭園は公園、建物は有料で公開。図上計測すれば、250 ~ 300ha。

17日目 6月4日(金)

Rambouillet ~ VERSAILLES ~ PARIS 96km

快晴15℃、風弱まる。

昨日の強走で右アキレス腱がやや痛い。outer shorts、学生時代以来のショートパンツで7:30st。9:00ヴェルサイユ宮殿裏門のひとつ、奥行きがあり過ぎて中に入り込む気にもならない。ヴェルサイユ市内でSaint Louis Cathedrale、名に惹かれて見物。

10号線に出られない。細い道を何度も par Paris かと確認、磁石も見て進む。老サイクリストに最後の確認を入れると一本道、updown があるが大したことは無い、とのこと。

天気は上々、食料はたっぷり、big road より安全かつ趣があり、かえって幸い。ただし、パリのどの辺りに入るのか分からない。地元道は細かい地名だけ、道路番号も変わるので注意しなければならない。

しまった!爺さんにペンを渡したままだった。

パリの匂いがしてきた。この河はセーヌにしてはダサい。河を北に遡上すれど目印無し。エッフェル塔でも見えれば大方見当はつくのだが。尋ね尋ね矢鱈と走り回るうちにサクレクール寺院を見つけた。これで良し。例の階段に座り込んで昼食。日本人には不思議と会わなかった。20 ~ 30 分走って W ポーチが無いのに気がついた。

自分の馬鹿さ加減を嘆きつつ急戻り。あった!良かった!と叫ぶと周りの人達から Good luck!

16:30 YH 着。2 泊朝食込み 47€。今夜はここで夕食、8.3€+近くのスーパーで小瓶のワイン。3 人部屋、1 人神経質そうなのが居て PC で映画、うるさい、ここからここまでは俺の領分だから立ち入るなとか。そのくせ使いかけの石鹸をくすねた。

18日目 6月5日(土)

PARIS 市内

快晴15。

今日は地下鉄で市内見物。

サンジェルマンは駅前教会、パンテオンからノートルダムを望む、Mairie、パンテオン隣の教会、今日は吉日か結婚式が多い。パンテオン前の階段で昼食。

パンテオンの傍でやや小さいながらダンボールをget、手間と時間が省けた。一旦YHに戻る。CDGへ行くbest wayを聞いたら、近くのバス停から351系統で1hとの事、これで一安心だ。

ポン・ヌフ傍の教会、マドレーヌ教会、FAUCHON(板チョコ 1.9€、練り切りのような菓子 9.6€)、プランタン(トイレ 1€)、ノートルダムは込んでいる、出口から入る。

オペラで乗り換えて GRANDS BOULEVARDS で下車、今は少なくなったパサージュ。クッキー(好みのものを好きなだけ自分で取って)缶代込み 24€、夕食。

コンコルドで夕涼み、23:00 帰還。02:00 までディスコバー、ワインとビールはあるが spirits なし。ここはすっかり blacks の世界、リズム感抜群。Whites は館外で屯。

19日目 6月6日(日)

YH にて自画地図で bus stop をくどくど確認。念のため現地事前踏査、屋根付。Bus stop で velo 解体完了時ポツリ。暫くすると豪雷雨。早めにして良かった。

3 時間前に着いたのは良かった。バスを降りてシャトルバスに乗り換え、更に電車で移動。第 1 第 2 ターミナル間は高速バスで 10 分以上、心配になるくらい広い。 昨年 CDG から Paux へ出るのが侭ならなかった事、改めて思い知った。

CDG 13:30 AF276

20日目 6月7日(月)

NRT 08:10

新潟上空、手前は朝日連峰、後ろは鳥海山、真下は飯豊山。猪苗代湖桧原湖ほか。

同じ航路を飛んでも、いまだ嘗て同じ景色を見たことが無い。

メモ

-以上-

フランス西部 1,200kmの旅
2010.05.19.~06.07.
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