2011 沖縄サイクリング/後勉沖縄サイクリング
2011年2月28日〜3月2日
■ホームへ
↑上のページへ
←前へ 次へ→

2011 沖縄サイクリング O寺


 2011年の沖縄サイクリングは本島中部・宜野座をスタートし大宜味、本部半島を回り恩納海岸を南下、那覇をゴールとした。

天気予報は・・・あまりかんばしくない。1日は雨との予報である。しかしこの時期の沖縄はもう暖かい。なんとかなるさ!と、出発である。


2月28日(月) 曇りときどき雨

 今回の沖縄サイクリングはいつもと異なり二人旅。同行いただくN沼さんとは京急の羽田空港駅にて待ち合わせ、予定どおり合流することができた。

チェックイン後、セキュリティーチェック。今回もスムーズに・・と思ったらフロントバッグに入っていた工具が引っかかってしまいました。15cm以上の工具は×とのこと。工具を輪行袋の中に納めなおしてもよかったが、フロントバックごと手荷物として預けることにした。

搭乗したのはジャンボ機。残念ながら雲が厚く景色は楽しめませんでしたが揺れることもなく無事那覇到着。


那覇空港からは30分ほどの待ち合わせで高速バスに乗車する。これまでは那覇スタートか、バスに乗っても終点まで乗車していたが、前回(2010年)の経験から「途中下車もあり」と考え今回実践した。


目指すは宜野座ICバス停である。なぜ宜野座?それは宜野座のそば屋(すば屋)で昼食とするためです。

那覇の町を通り過ぎ快適に高速道路を進み、宜野座ICバス停到着。バス停で自転車を組み立てる。二人ともいつもよりは厳重にパッキングしているため少し手間取るが12:40いよいよ出発。 ほどなく住宅街の中にあるすば屋に到着。しかし、なんと、しばらくの間休業中とのこと。出鼻をくじかれてしまった。数日前から確認の電話を入れていたが出ないはずである。


 気を取り直して再度出発。幹線道路から外れた道路をのんびり進む。

どこかで昼食を・・と考えながら走っているとありました。交差点に一見海の家風の「あじまー」。

おばさんたちが売店で世間話に花を咲かせている。売店の横が食堂になっていた。

メニューはいろいろあったが、私は無難に三枚肉そばを注文しN沼さんは「あじまー」オリジナルのそばを注文。これがすごい「そば」でした。

詳細はN沼さんのレポートをご覧いただきたい。

昼食後、のどかな海岸道路を進み14:50辺野古到着。海上基地建設予定エリアが見渡せる海岸へ行ってみる。昨年はこちらとあちら(基地)の間が鉄条網で仕切ってあったが、現在は頑丈な壁が出来つつあった。それよりも途中の砂浜がタイヤで踏み荒らされ昨年はあっちこっちに見えたヤドカリの気配が無いのが残念だ。


ひっそりとした辺野古の町並みを通り過ぎ再び幹線道路に戻る。大浦湾を通り過ぎると沖縄本島北部の雰囲気が強くなってくる。

今日到着時から空模様はあやしかったが、ちょっとした山越えの最中とうとう降り始めた。雨宿りできそうな場所も無いため降られるがまま雨支度を整え、再度走り始めた。

慶佐次のヒルギ公園で休憩。本日の宿へ連絡を入れる。

平良(たいら)の街から島を横切る道路に入る。いくつかのトンネルを通過し薄暗くなってきたころ18:20本日の宿「マリン」到着。


部屋は広く5〜6人でも宿泊できそう。海岸近くなので海のシーズンにはさぞ賑わうと思われる。

宿の一階は食堂になっていてそこで食事をいただく。一日目にしては少しハードであった今日一日を振り返ると共にじっくり話しを深めることができたひと時でした。


本日の走行 53km



3月1日(火) 曇り一時雨


今日も空模様は思わしくない。部屋の外には海が広がりその向こうに本日訪れる古宇利(こうり)島が見える。

夕食と同様朝食もおいしくいただく。店では弁当も販売しており次から次へと出勤途中の人が立ち寄る。

8:30天気が持つことを念じながら出発。

追い風で快適。ではあるが今日は大小二つの島、そして本部半島をぐるりと走る。風向きは当然変わるので油断はならない。

真喜屋交差点に到着。ここを右折して屋我地島に向かう。二つの島はそれぞれ時計回りに走る。屋我地島はそんなに大きな島ではないが、若干アップダウンがある。島を時計に見立てると10時あたりの地点で半島方面に延びる橋らしきものが見えた。「新しい道路かな」位に考えながらほどなく古宇利大橋が近づいてきた。


※屋我地島と本部半島・今帰仁村を結ぶ「ワルミ大橋」が2010年12月開通。「新しい道」に見えたのはこの橋でした。事前の調査不足に反省・・・


古宇利大橋を渡り始めるとマリンブルーの海が広がっている。橋の途中で記念写真。今朝出発した宿付近が遠くにかすんで見える。古宇利島に到着すると橋の袂に港があり、また観光施設があった。

施設内では島内で採れたフルーツや海産物が並んでいる。後から考えてみるとここは良かったなと考えている。まず食べごろのものしか置いていないこと。珍しい果物も食べやすいサイズにカットして販売していることなど、いろいろ工夫しているのと島民の実直さを感じることができる施設でした。

島内はのどかでサトウキビ畑が広がり、のんびり走っても30分ほどで一周。

再び橋を渡りましたが曇天ながらあまりの海の鮮やかさにしばし足を止めてしまいました。

屋我地島の残りの半分を走行し再び真喜屋交差点に到着。ここから本部半島を回るため右折する。

さきほど走った屋我地島を右手に見ながら快調に走るが空が次第に暗くなってきた。ぽつぽつ降り始めたころ坂の上にある食堂「くろちゃん」に到着。雨宿りを兼ねて昼食休憩となった。


食堂「くろちゃん」は地元の人たちが利用する店。店のお客さんも次から次へと訪れるとともに、「今日はこれだけ」と食材を置いて行く人がいたりと見ていて飽きない。今日はびっくりメニューはなかったが、読んだだけではわからない物もあり楽しい。くろちゃん定食をいただく。

雨は上がりそうもないが、いくらか小降りとなってきたので出発。店のおばさんに「止むまで居てもいいんですよ」と声をかけていただくが、御礼を言って出発する。


次は今帰仁城を目指すが、途中は裏道を選択して進む。その表情はさまざまである。最近できたりっぱな道路だったりうっそうとして熱帯植物に囲まれて薄暗い道だったり、次は何が登場するかと期待しながらのルートであった。


今帰仁城は以前近くを通過したが、訪れることをパスした地である。今回は是非訪れようと考えていた。

今帰仁城は、城を囲む石垣は地形を巧みに利用し曲線を描き、城壁のディテールが美しい。城内を進むと通路の左右に桜の木が並んでいる。一月下旬に桜祭りが催されるとのことであるが、さぞかし美しいことと思う。

今帰仁城エリアの一角に博物館がありそちらも入ってみる。広い館内には今帰仁城の歴史とともに周辺地域の歴史や身近な生活に関する写真や資料、実際の生活用品が展示してあった。

沖縄・琉球・戦争などと断片的な知識しか無い私にとっては興味深い展示であった。その中でおもしろい展示物・・と思ったら展示してあるケースの上で猫がぐっすり寝ているのでした。なんとのんびりしている。

今帰仁城からは備瀬地区を目指す。備瀬地区は本部半島の突端に位置し、さぞかし強風にさらされることであろうことが想像できる。海岸では強風が吹きつけるこの日も一歩地区の中に入ると地区全体がフク木で覆われているためひっそりとしている。

今回はメイン通りを通過したが、じっくり滞在して横丁を探索するのも面白そうなエリアである。


本部港からは道路工事の真っ最中でした。今までの二車線から四車線にするものでほとんど完成間近ではありましたが、未了なので車は二車線を使い通行。最初はこの二車線の端を走行していたのですが、せっかく立派な二車線が空いているので途中からそちらを走行。広い道路をゆったり走れ極楽でした。

しかし良いことは長く続きませんでした。本部〜名護の中間点付近からは残念ながら道路は竣工し四車線道路となってしまいました。その上砂利採取場が連続し道路の汚れが著しくなりさきほどまでの天国から地獄に突き落とされた気持ちでした。


やっとのことで17:00名護市街到着。

途中買出しする店を確認しながら市役所の特徴ある建物までやってきた。「たしかこのへんだったな」と見回すと、ありました「民宿南海」。建物外装はきれいにリニューアルされて見違えてしまいました。この日は余裕があったので私たち二人もそれぞれ個室としていただきました。


夕食はゆんたく場でいただく。本日は私たち二人と飛び入り女性一名。そして南海のご主人夫妻二方も一緒に愉快な時間が過ぎていきました。楽しいのはいいのですが、残念なことがあります。

あまりに楽しすぎて翌日記憶が飛んでしまっていることです。反省・・・

本日の走行 87km



3月2日(水) 曇り

今日は最終日。昨日の余韻はあるもののおいしく朝食をいただく。8:40宿を出発。


今日は本島中部の西海岸、恩納海岸を南下する。
間もなく高速道路との分岐する地点で前方に全国一周モードのサイクリスト発見。埼玉県出身の彼、いい顔してました。


私は沖縄本島の中で恩納海岸のコースが好きである。熱帯植物の街路樹が続き青い海が広がり本島に沖縄を走っているんだなと実感できるコースである。
本来ならば海岸線を左に見ながら進みたいところではあるが、コース取り上右に見て進まねばならない。
道路右側の歩道を慎重に進む。幸いなことに追い風である。




10:00万座毛到着。
強風のためほとんどのおみやげ店は風除けのシートを下ろしているが観光客は次から次へとやってくる。私たちもしばらくの間観光客モードになりました。


真栄田岬に近づき国道58号線と分かれる。この先に今回是非立ち寄ってみたい場所がある。
それは「フェーレー岩」である。日本百名峠のリストに沖縄唯一登場する峠である。しかし峠との名は付いていないし、標高もけっして高くない。寄り道には都合が良いが「なぜ百名峠?」との気持ちもある。
現地到着後、説明書きをしっかり確認した。



再度出発、もう昼近くになりどこで昼食にしようかときょろきょろしながら走る。海岸の食堂、閑静な住宅街のレストランなど目移りしてしまう。
間もなく58号線に合流しようとするエリアで見覚えのある店「くいしん坊」発見。昼食はここにしようと決めた。店内は地元の方たちで繁盛している店であった。N沼さんも私もおいしくいただいた。
帰りがけに店員の方に「ここはテレビで放映されたもじゃハウスですよね」と声をかけると、すかさず女将さんが登場してきて「見たんですか」と大喜び。店を出てからも小さな窓から名詞をいただいたり、「DVDも出てるよー」と教えていただいたり。


※テレビ東京 空から日本を見てみよう 2010,8,19 沖縄本島を一周 2時間SP


巨大な嘉手納の基地を通り過ぎ、極力58号線に平行した裏通りを進むといよいよ那覇の街が近くなってくる。極力交通量が少ない道を選ぶが、予想以上にアップダウンが多い。今日一日追い風にも恵まれ予定通りの時間でゴールできそうであるが最後の見所首里城の守礼門は丘の上。

なんとかもがいて15:10守礼門到着。無事記念写真を撮ることができました。


ここでハプニング発生!見知らぬカップルがつかつかとN沼さんに近づき「落語家の○○師匠ではないですか?」との質問。すかさず「○○師匠ではないですが、よろしければサインしますよ」との返答。間違いとわかり笑ってお別れしました。私も今後は師匠とお呼びしようかと考えている次第です。


首里城の坂を一機に駆け下り那覇の街を進み県庁近くの「日の出湯」にやってきました。

本土の銭湯とは少しかっては違いますが、いつまでも頑張って存続してもらいたいと思っています。

今回はN沼さんがカットしてある石鹸を持参していただきました。ありがとうございました。地元の方たちの入浴方法を参考にしつつ気持ちよく汗を流すことができました。


国際通りでお土産を購入し、打ち上げ兼夕食のため「まんじゅまい」へ移動、店の前で自転車をパッキングする。二泊三日間予定通りのスケジュールをトラブルなしで完了したことに乾杯した。


本日の走行 86km

今回も天気には恵まれなかったが、多少雨に降られても苦にならない沖縄ラン。以前のランでパスしたところを訪れたが、実際行ってみて本当に良かったと考えている。 特に今帰仁城や古宇利島は自然や文化、歴史を肌で感じることができた。


今回も辺野古を訪れることができた。最近はあまり話題にならなくなったが、「最低でも県外に」と言われた施設がどのような成り行きとなるのか今後も注視していきたい。


今回の沖縄ランはこれまでとは異なり二人旅。いつも親しくさせていただいているN沼さんとじっくり話しを深めることができたのは収穫でした。

少し強行軍ではありましたがお付き合いいただきありがとうございました。お疲れ様でした。

- Onodera -

後勉沖縄サイクリング N沼

 きのうの晩飯に何を食べたか、時々思い出せない時がある。沖縄レポートも早く書かねば、備忘録としても間に合わない。同行のO寺さんは既に作成済みである。折角なので、遅れついでに見聞きしたこと以外に、疑問や気になったことも調べ(後から勉強=後勉)、それらを追へてレポートを書いて見よう。

 昨年O寺さんが沖縄にサイクリングに行かれ、何かの折にお話しを伺った。また、それ以前の予備知識として、HPに掲載されている、4年程前に行ってこられた沖縄北部のレポート内も非常に興味深いものであった。ヤンバルの緑の森、コバルトブルーのサンゴ礁の海、行く先々の素朴な人情との触れ合い。思わず、「次はいつ頃沖縄に行きますか、是非自分も連れて行って欲しい」。こんな経緯で今回の沖縄行きとなりました。

昭和50年の海洋博以来、実に36年ぶりの沖縄です。


2月28日(月)
 気温5度、冷たい雨の羽田を後にし、ほとんど切れ間の無い雲海の上を飛んで、10:30定刻通り那覇空港に着陸。窓から軍用機の灰色の尾翼が見える。36年前眼にした沖縄の最初の景色と同じである。空港ビルを出ると、気温がまったく東京と違う、20度以上か。日差しもあり天候はまずまずである。
2月の沖縄の平均気温は18度だそうだ、プロ球団が沖縄でキャンプを張る訳が判る。

 O寺さんがオリオンビールを調達してくる。季節限定のさくらの衣装である。宜野座村行きのバス停で、まずは乾杯。

 36年前の沖縄の記憶は、豚の耳料理を食べたこと。申し訳なく、また、なんとなく後ろめたい気持ちに南部の戦跡巡りでさせられたこと位しか残っていない。那覇の町並みも、道路も、較べものにならないほどに変化したのであろう。当時の記憶を辿っていると、荒っぽいバスの運転に妨げられ、思わずシートベルトを手にする。およそ1時間30分で、12:40スタート地点の宜野座バス停に到着。

 南国の日差しが暑い、バス停のロータリーでは散水車が水を撒いている。たまらず半そでシャツ1枚になる。屋根付きのバス停を借りて自転車を組み立てる。13:00本日の走行開始、サトウキビ畑の中の道を行く。飛行機、バスと長い時間座っていたので、自転車が気持ち良い。O寺さんが前回立ち寄ったそば屋を目指したが、 残念ながら休業中。そのまま辺野古方面に田舎道をのんびり進む。日差しは強いが、風が心地よい。走り出してかれこれ1時間、大分腹も減ってきた。どこかに食堂は、T字路の角に、土産店か食堂か、マッサージ屋か、怪しげな建物がある。食堂もやっている様で立ち寄る。O寺さんは三枚肉そば、小生は「天そば(かき揚げ天ぷらそば) を注文。店のおばさんがホントにそれで良いのかという様な顔つきで注文を受ける。後でその意味が解る。そばにのっている天ぷらのでかいこと、スリッパの1.5倍の大きさはあるだろう。おじさん本当に全部食べるの。他の客もびっくりしたような顔で見つめている。とても全部は食べられない、O寺さんに半分手伝ってもらう。メニューの傍らの黒板に、「お客に様の苦笑、笑顔と驚きの表状(表情の間違い?)が励みになっています」の記述ある。期待に応えて驚きの表情を記念撮影。食べているのは全体の半分の大きさ、前の皿に残りの半分。さっぱりした油で、なかなか美味しい、これで600円は安い。

 本島中部東側のこの辺りは総じて山が少ない。300から400mクラスの山は、北部に多い。しかし、海岸沿いのため、半島を越える度にアップダウンを繰り返す。宜野座から12Kmなだらかな下り坂の先にコバルトブルーの辺野古の海が広がっている。海の色に感動し、思わず写真に収める。埋め立てて滑走路を造る計画もあるが、こんなきれいな海を潰してしまうのも惜しいことだ。浜に近づくと金網フェンスとブルーシートに囲まれた中で、重機が何やら作業している。米軍キャンプシュワブに隣接したこの浜は、昨今何かと有名な場所であるが、もとは山から採ってくる薪が主な収入源の小さな村であった。基地との関わりは1945年米軍による接収が始まりで、以降キャンプの造営に伴って近代的なライフラインが構築され、住民の暮しも、基地への土地賃貸での現金収入に大きく変化。旧住民のほとんどが軍用地主となっているとのこと。ベトナム戦争当時、「辺野古社交街」として一番の繁栄を見、米兵相手のバーが80軒もあったそうであるが、今は寂れて見る影もない。

 次は、辺野古から海岸沿いを北東に30Kmほどの慶佐次を目指す。北部に行くに連れ、起伏も多くなり、緑もその濃さを増す。坂の途中でにわか雨に降られ、登り切ったら雨具を付けようとしているうちに、かなり濡れてしまった。足元を水が流れている、既にびしょ濡れであるので、気にしてもしょうがない。沖縄は気候が暖かいので、雨具の用意さえあれば、雨も、そう苦にはならない。

 マングローブの林で有名な慶佐次に到着。マングローブと云う名の木があるものと思っていたが、潮が満ちて来る所に生える植物を総称してマングローブと云うそうである。知らなかった。

 もういくつ坂を越えたか、標高データであらかじめ分かってはいたが、沖縄の道はアップダウンがきつい。ゴルフの宮里藍の出身地である平良を経て、大宜味への道を北上、雨上がりの暮色の道を、18:20本日の宿「民宿マリン」に到着。

 二人だけにしては広すぎる部屋である。濡れた衣類を部屋に張ったロープに吊るし、早速に風呂に入る。窓の外は夕闇せまる東シナ海、潮騒が聞こえてくる。いよいよ晩飯である。ビール、肉、魚料理と泡盛、翌日のことも考えず、良く飲み、語る。泊まって、この食事、それにしても5千円は有難い。

 本日の走行距離は53Kmであったが、坂が多く、走りごたえがあった。


3月1日(火)

 窓を開けると左手遠くに今日行く屋我地、古宇利島、それを繋ぐ古宇利大橋が霞んでいる。ずいぶん遠くに行くものだ。薄日が差しているのか、古宇利大橋は白く光っている様に見える。なんとか天気はもちそう。今日は、屋我地島、古宇利島、今帰仁城を経由して、名護までの予定である。

 8:40民宿マリンを出発。本島西側海岸沿いを北から南に結ぶR58を屋我地島に向け西進する。幹線道路だけに、若干交通量も多い。右手の海上遠く、これから訪れる両島が見え隠れする。追い風を受け快調に走る。屋我地島は北海道を感じさせる様な平坦な島である。一面サトウキビ畑で、所々にパイナップルが植えられている。目指すところは古宇利大橋や、その先の古宇利島であるので、通過点としての場所になってしまっている様である。島を時計方向に周り、全長約2Km、一般県道、また、タダで渡れる橋としては日本一の古宇利大橋に至る。古宇利島を皿回しの皿に見立てると、大橋は皿を回す棒と言ったところか。サンゴ礁を透かし、コバルトブルーの海に浮かぶ白い姿は本当に美しい。橋の途中で立ち止まり、記念撮影。9:50橋を渡り終えた所の公園で休憩とする。

 公園の中では物産を扱う店があり、試食もさせてくれる。海ぶどうや黒砂糖を味わう、それと名前を思い出せないが、表面は紫、中身は黄色のマンゴーの様な果物を買って食す。自分だけ良い思いも気が引けるので、芯まで食えるというスナックパイナップルを宅配で家に送る。いろいろ気遣いが大変である。これらの費用を考慮した計画作りが、自転車を長く続ける為には肝要である。

 古宇利島は周囲8Km、あっという間に一周してしまう。帰路、橋を渡る前に浜辺で記念撮影。ブルーの海に白い橋、良い眺めである。

 橋を渡り、屋我地島の東側の道を真喜屋交差点に向け戻る。本部半島を人の頭に例えると丁度首の付け根に居ることになる。付け根の反対側が名護であるので、直行すれば訳ない距離であるが、今日の計画はその頭の部分を一回りである。この時期、いろいろな場所で道路工事をおこなっている。今帰仁への道をひた走る。どうも雲行きが怪しい、坂道の途中で急に雨脚が激しくなる。坂の上の雲と言ったところか。昨日と同じパターンである。雨具を出そうか迷っていたところ、登りつめたところに、運よく食堂を見つける。お食事処「くろちゃん」である。時間も12時近く、ここで昼食休憩。見たところ観光客相手でなく、地元の人の使う食堂の様である。O寺さんも小生も、「くろちゃん定食」を注文する。チャーハンと沖縄そばがセットになった様な内容である。なかなか美味しい。店の人も、旅のおじさん二人連れに親切でした。一時間弱の休憩の後、雨も少し小やみになってきたことから先に進む。

 ここから今帰仁へは幹線を外れ、裏道を辿る。付近の人の生活道路である。風雨に晒されたのか、色彩を失い、灰色がかった軒の低い民家が続く。時たまコンクリート造りの家も見かける。やはり灰色が基調である。

 いつもそうであるが、まず安全であること、地元の雰囲気を肌で感じられるようなコースを選ぶ。O寺さんの配慮が感じられる。あまり大きな村ではないところに、結構立派な学校や、常に風が強いのか、風力発電の風車を遠くに見たりしながら、本部半島東側の道を行く。13:30今帰仁城への登り道に到着。城までは、1kmで90mの登りである。ハアハア息切れしながら登り、10分ほどで到着。今帰仁城は13世紀ころ築城が始まる、誰が築いたかは不明。14世紀、室町時代ころには、3つの王国が覇を競っていた。今の城はそういう状況の中で完成した。結局は島中部の王国に敗れ、併合されてしまうが、その王国も16世紀、江戸時代初期、薩摩軍に攻め滅ばされ、以降空き城になったとのこと。権勢の具現化か、敵に対する恐怖心からか、時の移ろいを見つめてきた見事な石の城壁群である。2000年ユネスコの世界遺産に登録された。

 今帰仁城を後にし、名護に向かう。本部半島の北端は強い風のせいか、余り高い木々はなく、草も薙ぎ倒された様になっている。荒涼とした風景である。半島を西に回り込んだ所がフク木で有名な備瀬地区である。この辺りは、およそ250戸の家々があり、数千本のフク木が、家々を取り囲み、強い風や台風から建物を守っている。フク木は常緑の高木で塩害に強く、また、耐火性も備えているそうである。今日はあいにくの曇り空であるが、南国の陽の光の下のフク木並木はきっともっと素晴らしいであろう。すごい西風に煽られながら、海岸沿いのコンクリートの散歩道を南下。右手海上には、特徴ある形の伊江島が大きく見える。

 海洋博記念公園前で記念写真。36年前の海洋博の様子は余り記憶に残っていないが、今目にしている景観とは全く違ったものであることだけは確かである。海洋博の目玉であったアクアポリスは何処どうなったのか、上海に売られスクラップになったらしい。ここから、名護への道は、拡幅工事を行っているところが多い。こういうところでは、車線のセンターにポールが立っていて、車が自転車ぎりぎりに追い越すので、非常に走りにくい。しかし、工事が終わった箇所では、一般公開前の新品の2車線路を独占して走ることが出来た。小雨に降られたり、採石場のダンプのまき散らす路上の砂に悩まされたりしながら、17:00名護到着。

 宿は那覇市役所近くの民宿南海。今日は空いているのか、個室である。食事は宿泊棟とは別の「ゆんたく場」と言われる食堂でいただく。「ゆんたく」とは「おしゃべり」とか「語らい」と云う意味だそうだ。食堂と言うより、語らい処と言うところか。O寺さん、小生、もう一人の客である卒業旅行で高松から来た独り旅の女子大生、と民宿のご主人夫妻を交え、まさにゆんたくの名にふさわしく、名護の夜はなごやかに過ぎて行くのでした。泡盛の魔力か、単なる飲み過ぎか、残念ながら楽しい記憶も後の方は定かでない。

 1泊2食個室で4,000円、おどろくほど安い、感謝。    本日の走行距離87Km。


3月2日(火)

 いよいよ最終日、今日の予定は西海岸沿いに、万座毛、残波岬、嘉手納を経由して那覇に至るコースである。昨晩は大分飲み過ぎたが、朝飯はちゃんと食べることができた。8:40宿を出発。天気は薄曇り、熱帯植物の街路樹が続く名護湾沿いの道を、次の目的地万座毛を目指し南下する。右手には東シナ海が拡がり、前方遠くにはこれから訪れる半島の山々が灰色に横たわっている。風は北西方向からの追い風、快調である。

 10:00万座毛着。ここも沖縄有数の観光地。風の強い場所で、コウライ芝や風に打ちひしがれた灌木が眼に着く。生えている植物のほとんどが県の特別天然記念物だそうだ。隆起サンゴ礁の岸壁は荒波に浸食され、ゾウの鼻の様な形をしている。これも有名な景観である。万座毛の毛は「原っぱ」の意味だそうで、一万人が座ることの出来る原っぱと云うことらしい。

 観光を終え再びスタート。残波岬や、その近くの「フェーレー岩」を見学。残波岬は30mの断崖が2km続き、沖縄戦当時、米軍はこれを目印にして読谷海岸に上陸したとのこと。ここからもう少し南の比謝川の河口に舟艇を乗り入れ、南北に攻め入った場所でもある。今は景観と共に、磯釣りやダイビングのポイントとなっている。海岸沿いに更に南下、右手の浅い海に何かの養殖いかだが見える。街路樹も葉が肉厚で、根になる様な茎が、幹の途中から地面をめざし何本も垂れ下がっている。いかにも南国の風情である。

 本日初めての坂らしい坂を登りつめてしばらくの所に、「くいしん坊」という食堂を見つける。O寺さんは見覚えがあるらしい。建物の半分ほどが植物に覆われている。以前「空から日本を見てみよう」という番組で放映されたとのこと。今日のメニューは「なすの味噌煮定食」がウリとのことで、素直にそれを注文。昼の外食3日目であるが、沖縄の料理は総じて旨い。

 嘉手納基地を左手方向に見て、読谷村、宜野湾市を過ぎ、那覇の街が近くなると、やたらとアップダウンが多くなる。多分、幹線道路はこれほどでもないと思われるが、交通量がすごいのであろう。裏道をGPS頼りに先導するO寺さんも大変である。小生には何処をどう走っているかまったく分からない。首里城の交通標識が見えてくる。これから先には、今回の沖縄サイクリングでの最後の登りが待っている。喘ぎ喘ぎエネルギーを使い果たした感じで登り切る。15:10守礼の門の前で記念撮影。時間の関係で首里城の見学はパスする。

 見知らぬカップルが小生の顔を覗き込み、ニコニコしている。写真でも撮って欲しいのかと思うが、そうでもないらしい。やっと何処かに行ったと思ったら、また来て「木久扇さんですか」と覗き込む。過去にも似ていると言われたことはあるが、間違われたのは初めてである。師匠には申し訳ないが、往年の健さん?はガックリである。それでもサービス精神を発揮「違いますが、なんだったらサインしますよ」と応えたところ、そこまでの趣味は無いようでした。

 いよいよ最後のスケジュール、風呂に入ることと沖縄料理での反省会である。風呂は県庁近くの「日の出湯」である。構造がこちらの銭湯とは大分違う。まず、番台が道路に面しており、番台から風呂場は見えない。靴は脱衣所まで持って入る。風呂場と脱衣所の境がない。湯船はそんなに大きくなくフロアの中央にある。壁面の人が立った高さに鏡があり、その下に小さな磁器の手洗い、それに水と湯の蛇口が付いている。手洗いにはパイプが付いておらず、お湯と水が混ざりあうとそのまま下へ抜ける、そこへ頭を持って行くと、混ざり合って適温になった湯が掛かる様になっている。なぜこの様な構造なのか、調べて見ると新たな沖縄が見えてくる。沖縄はもともと暑いところなので、それ以上に熱い湯船に浸かる習慣が無い。風呂と言えば、沖縄ではシャワーを言うらしい。シャワーであるから立って浴びる、高い位置の磁器の手洗いは湯と水を混ぜる混合栓の機能と同じ、屈んで頭を下に入れればまさに上からシャワーを浴びることになる。立っている時は、洗面器で体に掛ける。小さな湯船の周りは、洗い場が一杯の時の洗い場で、湯船に浸ることを目的としていない。沖縄には以前は350軒ほどの銭湯があつたそうだが、現在は13件に減ってしまった。ここ日の出湯は水道水で営業している沖縄で唯一の銭湯だそうだ。後勉とは言え銭湯の考察が大分長くなり過ぎました。

 16:40モノレール県庁前駅の近くの沖縄料理店「まんじゅまい」到着。店の傍らでパッキング。
生ビールと沖縄料理で乾杯。   本日の走行距離 86Km。

 O寺さん、準備も含めこの3日間、いろいろお世話になりました。ペース配分など小生の体力に合わせて頂いて有難うございました。お陰さまで、安全で、思い出に残る楽しいサイクリングが出来ました。

- N沼 -


2011 沖縄サイクリング/後勉沖縄サイクリング
2011年2月28日〜3月2日
■ホームへ
↑上のページへ
←前へ 次へ→