裏イタリア、マフィアの郷、CIN! CIN! Salute!
(チンチンもサルーテも乾杯、サルーテはくだけた言い方)
2011年5月20日〜6月10日
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レポート本文

東西古今の文化の潮が一つに渦巻く長靴半島の脹脛、踝、踵、土踏まず、拇指球、爪先あたりを走ることにした。年を重ねると感受性が鈍くなり、感情の振幅が小さくなる。感激や感動が少なく小さくなるのが常だが、今回は不安が募り、胸の高鳴りを覚えた。


時間に対する忍耐力を失い、じっくりと一つの物事に気を落ち着かせて浸りきることが出来なくなっている。短時間に遠っ走りするスピード旅行とは逆に、狭い範囲を時間をかけて見て回る旅、今まで平気で通り過ぎていた土地に意外な興味を見出すことがある。


旅行では3つ星以上のホテル、旅では2つ星以下のホテル・ペンション・プライヴェートルーム・ユースホステル・B&Bなどに泊まる。経済性もさることながら、わくわく感や郷愁に誘われる度合いが違う。そんな安宿でも日本の民宿よりはるかに満足度が高い。学生時代にツーリングや寝袋を背負っての旅ではよく商人宿に泊まった。見知らぬ人と相部屋、隣の部屋とは襖1枚、緊張感もあるが始めて耳にする話に興味が尽きなかった。そんな経験をしてきたので共用のシャワールームとかトイレに不便は感じていない。


平知盛「今は見るべきことは見果てつ」の心境には程遠く、次から次へと見るべきことが湧き出てくる。「耳にふれていまだ目に見ぬ境」もまだまだ沢山ある。風は匂いを運ぶ。街の匂い。まだ見ぬ次の街への期待感に胸膨らむ。

始点はアンコーナ、通り過ぎた街を再び訪ねることは極く稀なこと、一昨年ここからクロアチア、スロヴェニアに渡った。イタリア半島は長靴に見立てられるが、それは右足か左足かとくと考えてみたい気がしてならなかったが、よくよく考えるにやはり右足であろう。左足では血管も見えないし感じ方も鈍いし、温もりも感じられない。


TARANTOから爪先まではサブルート、エスケープルートはない。唯只管国道106号線=E90号線(EはEU共通の通し番号)。


この先何キロと考えず、千里の道も一歩からと思うべし。などと覚悟を決めて長途に着く。


旅の必需品は無限の好奇心。関心事しか目に留まらないから、いろんなことに好奇心を持っていれば沢山の出会いがある。粘着力、多少の愛嬌と度胸も連れて行こう。


一人旅は本当に一人かと言うと、そうでもない。いろんな奴がやって来て、お供をしてくれる、自由に話が出来る。結構賑やかだ。非日常に身を置いて日常を観察の対象とする。 日常は安全かと言うと決してそうではない。自宅内での事故は交通事故より多発している。日常ほど危険に満ちている所はない。日常から一歩踏み出る。未知に向けての一歩であって、本来安全保障はない。しかし、非日常に踏み出すとある程度の緊張感が生じて、相当の注意を払うことに相成る。危険に遭遇する確率は低くなる。一人で処置できないことは殆どないし、同行者がいても大差はない。 一人では危なくないか、とよく言われる。3人連れならトラブルに遭遇する確率は3倍になる。トラブルへの対応策に優れた人がいれば兎も角、単独の方が柔軟性があり可変的、安全だ。


旅の楽しみ、狙い
各地の料理(orecchete、生空豆のサラダ、ピザ生地のサラダボールなど)
ワイン(特別の意思表示をしないと0.5Lのカラフがでてくる。土踏まず以降の赤は味も色もロゼに近い)、prosecco(プロセッコ種の葡萄から作る発泡白ワイン)
BRINDISIの古代ローマの円柱(アッピア街道の終点であり、シルクロードの起点でもある。)
ギリシャ遺跡、ローマ遺跡、各時代の文化遺産
アルキメデスの町SIRACUSAは最大、最美のギリシャ都市


注意点 治安は下馬評ほど悪くない。人は親切で優しい、交通マナーは若者を除けばドイツやフランスほどはないが、北中部イタリアより良い。


コースと日程;何度も変更した結果 イタリア半島1,532km+シチリア東海岸230km=1,762km(この内300km位が迷子、寄り道、ホテル探しに費やされている。)


第1日目
05.20金
成田13:15発  ローマ19:00着
ローマ発21:15  アンコーナ22:15着
1減便にも拘らず空席が目立つ。
空港からタクシー、値段交渉25ユーロ、YH 17ユーロ 5人部屋に1人
第2日目
05.21.土
ANCONA  LORETO〜S.BENEDETTO DEL TRONTO 93km
ANCONAでは前にも迷子になった。なかなか脱出できない。この街とは相性が悪い。鉄道でLORENTOまで行くことにした。切符を買って戻ると親爺3人が我車に群がり質問攻め。アドリア海に沿って南下、16:00 S.Benedetto del Tronto着、1泊60ユーロは高いと言ったら夕朝食付きとのこと、それなら結構、ドイツ訛の老人と話をつけるのに一苦労。
第3日目
05.22.日
〜ORTONA 晴、26℃。追い風                105km
ORTONAに辿り着いた。外からは新興住宅地に見えたがどうしてどうしてなかなかの街。新中旧が入り混じった不思議なところ、観光客が多い。
第4日目
05.23.月
〜LESINA 晴れのち曇、時々小雨、軽い追い風、28℃   135km
ホテルで道を聞いたのでスムーズに街を出られた。今日の16号線は退屈しない程度の交通量と起伏だ。
B&Bの概観は兎も角として、内部は木を巧く使ったリゾート風。レストランは湖畔に1軒だけ、メニューは無い。帰り道、地元民と話し込む。CIN CIN!!会話にならないお喋りで1.5H。
第5日目
05.24.火
〜FOGGIA 晴、追い風。                  68km
8時の朝食を7時に繰り上げてもらったのに部屋でうとうとして起こされた。よろよろと9時半に出発、二日酔いを覚まそうと10時頃道端の叢でまどろんでいたら、パトカーから警官が降りてきて起こしてくれた。転んだのか?否、寝ていただけだ。11時半再スタート。昼食を取る気にもならず風に押されて走った。今日は走行距離を短縮してFOGGIA泊まりと決めた。駅付近に行けばホテルがあるだろうと踏んだ。4星(60ユーロ)を訪ねると我輩の風体を見るなりもっと安いところがあるよ、だって。
第6日目
05.25.水
〜MOLFETTA 小雨、曇、晴れ、28℃、追い風       132km
FOGGIAをスタートしてすぐ降りだした。駅に向かう。場合によればれ列車を使おうという算段だ。東南の方角の空は明るい。雲の動きは好ましい。コンパスに従って走ると具合良く16号線に出られた。S.Ferdinandoに立ち寄ったがレストランは無い。商店でパンにチーズと生ハムを挟んでもらって広場のベンチで食べていたら、たむろしていた男一人がさくらんぼを一つかみくれた。清潔な町の住人はどこか違うのかも知れない。ここから向かい風!16号線を避けて裏道(といっても4車線)を行く。湘南を高級にしたような景観、今までで一番の道!
Treniから素敵なわき道を経てMolfettaに4時に着いたので、楽勝と思ったのが間違い。ホテルが無い。駅周辺にも無い。最初に教えてもらったのは会員制。二番目は所在不明。三番目はB&B、Full。そこで教えてもらったB&Bは近隣住民も聞いたことが無いとのこと。この間Signoraに連れられて歩き回る。最後の最後に教わったのが教会。朝食なし、7時退去、10ユーロ。6時半だったが責任者不在ゆえ8時に再訪の約束。それでも懺悔が長引いて30分遅れ。街と教会隣りの屋台で粗餐。立派な3人部屋に一人、トイレ、シャワー完備、冷蔵庫つき。
第7日目
05.26.木
〜LOCOROTONDO 晴れ、30℃、追い風         109km
6時半にはbarに人集り。
172号線はサクランボとトウルッリ(三角屋根の建物)街道だ。道路工事のためTURI手前で迂回したがこの辺りからLOCOROTONDOまで約30kmに亘ってトウルリが続く。住宅や納屋など多様な用途に供せられているが、住宅集落はアルベロベッロだけだ。
LOCOROTONDOのホテルのベランダからもトウルッリが見える。この街はどこもかしこも白い。
第8日目
05.27.金
〜LECCE 快晴、追い風後向かい風、            123km
LOCOROTONDOから20km地点までトウルッリが連続、それ以後急に疎らになり終には見られなくなった。トウルッリは4~50km四方に亘って点在している。
BRINDISIはANCONA同様町並みは美しいが道が分かりにくい。アッピア街道終点を示す円柱の隣で昼食。トルコやギリシャへ渡る港町でもあり、シルクロードの入口としての性格を持っている。宿泊予定のSquinzanoにはホテルが無い。一番近いのは9km先の海岸縁だが、ここでしくじったのでは堪らないので、LECCEに行くことにした。街の入口にあるモーテル、事務的にてきぱきしていた。久しぶりに定食にありついた。飲み物はワイン1/4Lと水1/2L。選択肢としてワイン1/2L又は水1L。と言うことは、これらが等価という事だ。これではワインが可愛そうだとつくづく思った。
第9日目
05.28.土
〜Specchia 快晴、追い風                 95km
漸く道半ば。遅ればせながら方向感覚も付き、言葉にも慣れてきた。
走っても走っても尽きないものはブドウ畑、オリーヴ畑、それに無花果の木。旅程が進むほどにオリーヴの大木が増えてくる。平凡な景色、走っても走っても変わらない景色。
宿泊予定のMontesanoにホテルは無く、少し離れた所を教えてもらったが目下休業中。そこで教えてもらったのが37km先のSpecchia。客は我輩一人、3星、2食付、3bedの広い部屋。
第10日目
05.29.日
〜Porto Cesareno 曇、                 126km
昨夜の雨も上がり、曇空を行く。ホテルのSignoraが書いてくれた地図を点検していたら車で誘導してくれたムクツケキ男。地図を見ていたら親切に教えてくれた人々のお陰でスムーズにS.MARIA diLEUCA着、踵だ。雷鳴、稲妻あるも雷雨が過ぎた後を追って来たらしいが、終に雨となったので小休止。その後何度か無花果の葉陰で雨宿りしているうちに、青空が垣間見えてきた。よーし!!
宿泊予定のNARDOにホテル無し。2軒のB&Bの看板に惹かれて脇道に入り、2軒叩いたが日曜日ということもあり手応え無し。元の道に戻るためにガタガタ道を行く。白馬に跨って優雅に散歩している輩とすれ違う。食糧と水を使い果たした。早くホテルに入りたい。4時20分。暗くなるまでに4時間はある。焦ることは無い、何とかなる、と腹を括ると急に気が楽になった。日曜でもやっているGS付属のバールで小腹を満たし、情報入手。S.Isidoroにはホテルは無く、Porto Cesarenoにあると言う。これはインターネット情報に合致。7時投宿、観光地とはいえB&Bで60ユーロは高い。⇒すぐに50ユーロ。その代わりペントハウス風、なれど確りしたtwin。8時の朝食を7時にしてもらった。
日没は8時10分。アフリカ人が屋台を連ねる。
第11日目
05.30.月
〜TARANTO 快晴、向い風          78km
吾輩の部屋のレベル(屋上)と3階の食堂のベランダから海のパノラマ。TARANTO方面に出るには海沿いの道が良かろうと言われた。風の音、路傍の花々。
南部の海岸沿いには不毛の土地が広がる。特にイオニア海地方の土地生産性の低さが貧困の基と感じた。重農主義の存在理由が理解できるような気がする。しかしイオニア海は美しい。水はあくまで透き通り、ブルーの濃淡が鮮明。シーズンオフで人影が無い中、向かい風を行く。TARANTOでアルベルゴ(旅館)に投宿。
第12日目
05.31.火
〜Nova Siri 晴れ                    113km
METAPONTIUMの博物館前のスナックでサンドイッチとprosecco(発泡白ワイン)、これは旨い!!
Rocca Imperialeの町工場で道を尋ねるも、無愛想の極み。ここにあるはずのホテルが無く、戻る道を地図を出して開くと手で払いのけた。それでも親爺さんがNova Siraにあると戻る道を示してくれたのがせめての救い。往復13kmの損。CALABRIA州に一歩入っただけなのに今までとは大違い。
案に相違して4星、58ユーロ、夕食は半ばホテルのお仕着せ。
第13日目
06.01.水
〜CROTONE 曇り、一時小雨後晴れ、24℃         82km
TREBISACCE辺りから湾越しの眺めはさながら三浦半島から見る伊豆半島に似ていたので嬉しくなる。REGGIOLまで360kmの標識、一つの州としては大きい方だ。ROSSANOはローマ都市、中心部と大聖堂は登れど登れど近づけなかったので諦め、ローマ当時からの墓地を見学。ROSSANOにはホテルが数件あったが、まだ時間が早いのと見所が無く、レストランも見当たらなかったので、列車でCROTONEに向かう。ROSSANO発15:32、CROTONE着16:44。駅内のバールで切符を購入、4.6ユーロ。自転車を持ち込もうとしたら最後尾の置場のシャッター(ドアではない)開閉が難渋、しかも4.5ユーロも取られた。
CROTONE ホテルが歴史地区の入口、つまり新旧市街地の境目にあり、至便。ギリシャ・ローマ遺跡の上に後代の増改築がくり返されていた。古代ギリシャ都市として知られている。
第14日目
06.02.木
共和国建国記念日 〜VERATO   晴れ、  24℃、向い風     91km
SOVERATOには見るべきものは無いが、ホテルが数軒、ソフトクリーム屋・バール・ピザ屋が各1軒開いているだけ。水も買えない。今日は祝日だった。3星、部屋は小さいながら清潔、充実。
第15日目
06.03.金
〜BIANCO 快晴、追い風                  92km
熟睡、快適。ホテルマンに南・左方向を忘れるな、と注意を受け、複雑な分岐点を数箇所順調に通過。帽子を被り直し、緒を締める。北伊や中伊とは明らかに違う。緑豊かという感じはしない。スペインと見まごう時もある。街の名前に惹かれBIANCO(白、自転車メーカーのビアンキはビアンコの複数形で白家の人々)。14:30着、2星ツイン朝食込み25ユーロ。洗濯しても湯が出ない、身体を手ぬぐいで拭く。25ユーロでは文句も言えない。
BIANCOでは今だに2~4時は町中閉店。夕食まで浜辺で地元民と話しこむ。話題には必ず福島、津波が出る。海はきれいだが浜はごみだらけ、7月になるとイタリア中から大勢人が来る、そのときは浜もきれいにするとか。
第16日目
06.04.土
〜REGGIO di CALABRIA 薄日、28℃、追い風       90km
荒涼とした景色の中をひた走る。まるでイタリアの感じがしない、これが裏イタリアか。カラブリア州に入ってから車の急バック(路上駐車からでるとき)、進路変更など自分だけの交通法規が横行、すれ違いざま吾輩のズボンで車体を拭いてゆく輩もいる。その都度大声で、日本語で注意してると、会釈する者、無視する者、反発する者、さまざまな反応がある。
REGGIOでは港近くの3星、75ユーロ、sconto(割引)! 大きな値引きは出来ない、70でどうか。良かろう。広いツイン、水周り確り、3星以上の仕様。  
第17日目
06.05.日
〜TAORMINA曇、30℃、向い風         58km
西の方から天気は回復してきているので楽しみ。昨夜来支配人が自転車をパッキングしないと船長がうるさい、と再三注意された。切符売り場の職員に質すとNon Probalema、一安心。7:50発、8:25MESSINA着、35分の船旅、3.25ユーロ自転車運送は無料。800席、乗降客はそれぞれ25人。船は静々と進む、船中で乗組員からDuomoを指し示されたのですぐ分かった。時計鐘楼。CATANIAへの道もすぐ分かった。どういう訳か強い向い風、烈風。天気晴朗なれど波高し、各員一層奮励努力せよ、と言われてもシチリアくんだりまで来て向かい風と格闘する義理は無い。海に目をやると白波が立ち、北から南へと相当のスピードで白波が流れてゆく奇景。列車に切換えようとしたが今日は日曜日、平日ダイヤと違うのと、小さな駅には止まらない列車が多く、うまく行かない。短縮して今日はTAORMINA泊まりと決めた。坂の街と聞いていたが、流石に高い所にある街で、普通ならパスするところだ。ようよう辿り着くと、大変な観光客、日本人ツアーもいた。Teatro Grecoには唯呆然、現在でも使われているのがすごい。
3星B&Bは満員、同じ所有者のB&B、街外れにあり道は複雑ゆえ地図に落としてもらう、50ユーロ、ダブルの広い部屋、設備充実、眺望絶佳、石鹸補充を要請。
第18日目
06.06.月
〜SIRACUSA 曇りのち晴れ、25℃、ゆるい追い風     60km
風に飛ばされた帽子を拾っていたら、車の若者が手振り見真似で怪我はないかと心配そうによってきた。転倒して帽子が脱げたと思ったらしい。風に飛ばされただけで、怪我は無い、とジェスチャー交じりに答えるとVa bene(OK)!
CIRIALEは予想外に見所が多い落ち着いた古都。
CATANIAはSICIRIA第二の都市で流石に大きい。漸く駅を見つけ、丁度14:21発、SIRACUSA15:55着に乗ることが出来た。北風が強く吹いてきた。明日のSIRACUSA 〜CATANIAは大丈夫か?風の吹き方がよく変わる島だ。CIRIALE泊まりを SIRACUSA泊まりに変更、明日CATANIAに入ることにした、お遍路流に言えば逆打ちだ。線路は海岸を大きく右へ内陸部に入る。素堀・直壁の切通しが続出、荒涼たる大地を行く。
SIRACUSAでアポロ神殿とアテネ神殿の円柱がどっしりと組み込まれた大聖堂を見た後で、B&Bを見つける。55ユーロ、朝食8時。朝食無しで50ユーロに決めた。立派なking size bed。
第19日目
06.07.火
〜CATANIA 曇り後晴れ すこし追い風          101km
切符売り場が開くまでの間ジェノバから船で20時間かけてきたと言う人と暫く話しこんでいたところ、ここはシチリア、自転車を置きっ放しにしていては危険だ、と注意された。Teatro Grecoは大規模ながら保存状態はTAORMINAの方が断然上。現在も使用するための真新しい座席を整備しすぎているので、異物を見ているようだ。10ユーロ。ディオニュシオスの耳Orecchio Dionisioもすごい迫力。極めて大きな公園になっていて、説明版も順路表示も無い。アルキメデスの墓とS.Giovanni Evangelista教会も是非見ておきたかったが、見付けるのに時間が掛かりそうなので断念。
片側2車線+1車線分もあろうかという側道、その幅員構成のままのトンネルが連続、トンネル内は明るく、歩道縁石による段差がないので走り易い。感心もそこまで。LENTINIでパトカーに止められ、自動車道路を自転車で走ったかどで罰金39ユーロ。自転車は通行不可との表示はどこにも無かったぞ。君たちは本当の警官か?(ローマでの偽警官のことが頭をよぎった。)身分証明書を見せろ。証明書よりこれは本物のパトカーだぞ、装備を見ろ。SCONTO!(値引き)!、国家の会計に入るから駄目だ、聞かないと逮捕するぞ。
最初に「金はたくさん持っているか?」、40ユーロ持っていると応えた。20しか持ってないと言ったらどうなったのだろう。旅をするのに40しか持ってないのかと聞かれたらどうしよ、などと考えた。出口のDI LENTINIまで送られた。別れ際に皮肉を込めてGrazie!皮肉を込めてPrego!途中大型犬7・8頭に襲われかかった、近くの車が警笛を鳴らして追い払ってくれた。
CATANIAは大都会なのに何度か道を聞いているうちにYHに辿り着いてしまった。不思議なこともあるものだ。YHは6人部屋、何泊もして室員の事をよく知っている牢名主的なオジサンは話し好きで話題が途切れない。兎に角喧しいシチリアの中年男2人、東洋人とアメリカ人各1人。
第20日目
06.08.水
CATANIA滞在 晴れ、30℃                11km
パリに劣らぬもの、犬の糞。Teatro Romanoにはそれ程の期待をしていなかった。あわや通り過ぎるところだった。入口がビルの小さな入口(スプリットの王宮遺跡の入口より貧弱)、中に入ると(4ユーロ)びっくり仰天!親切にも自転車を展示室の中に入れてくれた!!規模・保存状態ともに最高のものだ。標識が無いので迷路を探らなければならないのも神秘的だ。
Duomoに戻って中に入る、Duomo広場石柱を支える象。Marsala(シチリアのデザートワイン)は在っても1本売りだけ、残念。城に入るところのBarでレモンシャーベットとチョコレートのシャーベット1.5ユーロ。
REGGIO以来洗濯物の乾きが悪い。
第21日目
06.09.木
快晴 CATANIA12:20発 ROMA13:40着 15:40発
今朝も6時頃から牢名主がカタカタ五月蝿いので注意してやった。重い荷物を担いでバスセンターまで10分以上歩くのはしんどいので、タクシーで空港に直行。18ユーロ位と聞いたが、20ユーロ、10分、台車1ユーロ(この手配を商売にしているらしい男)。空港職員は親切で、まごまごしていると直ぐやって来る。受付でこれは自転車(持込有料)ではないのか、としつこかった。こちらもしつこく自転車の部品だ、と手振りも含めて言い張った。事なきを得た。同一時刻、同一搭乗口で共同運航4社(AZ、AF、KL、TP)の表示は煩わしい。
ローマ上空で、Fumicioの街で宿無しになったことなど懐かしく思い出しながら下を見ると、裏イタリアとは全く違う肥沃な台地。重農主義の歴史的な存在理由があったのだろうと改めて強く思った。
第22日目
06.10.金
NRT10:20着

感想など

- N山 -


裏イタリア、マフィアの郷、CIN! CIN! Salute!
(チンチンもサルーテも乾杯、サルーテはくだけた言い方)
2011年5月20日〜6月10日
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