続・欧の細道   N山
               2013.5.24.〜6.12
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レポート本文

 2009年5・6月、「欧の細道」と謳って、パリ郊外のモーから東進、ランスを経てメッス、東南に進みストラスブール。ドイツを少し走り、カールスルーエから列車でチェコのピルゼンへ。 雨の中夜着、タルタルステーキが旨かった。プラハから東南のブルノ、更に東南のウィーンに到り、ドナウ川に沿って東進、スロヴァキアのプラティスラバを経てブダペストまで、独・仏・チェコ・スロヴァキア・オーストリア・ハンガリーの6カ国、1,386km。

 今回は「続・欧の細道」としてブダペストからドナウに付いたり離れたりしながらほぼ南下してノヴィサッド。東南に進んでベオグラード、更に東南のニシュを経てブルガリアの首都ソフィア、東進してプロフディフを経てトルコのエディルネ(ブルガリア、ギリシャ、トルコ国境が接する辺り、イスタンブールの西242km)まで。 約1,100〜1,200km。耳にふれ未だ見ぬ境、東欧長途の行脚。ブダペストとイスタンブールは二度目だが、他の街は初訪。

 嘗てはローマ〜ヴェネチア〜トリエステ〜ザグレブ〜ベオグラード〜ソフィア〜イスタンブールはシルクロードであった。
 エディルネからから成田へ数ルートあるが、バスでイスタンブールに出ることにした。ギリシャ回りは国境を越えるのが厄介だし時間がかかる、ブルガリア回りは時間がかかるのとモスクワ経由便が週数便しかない。行きは良い良い帰りは怖い。
 プラニングの時からわくわくドキドキする。不安も一杯。

 ヨーロッパの街や村は転変地変でもない限り少しも変わらないから、そこを再訪すると以前のその時間に戻ることになる。変わっているのは自分自身であることに気付かされ、新鮮な感じを抱くことがある。 ヨーロッパでは所によると午後9時頃まで明るい。吾輩は夕日が大好き。日没の前後30分ずつが良い。その頃知らない街をそぞろ歩きするのは最高に気持ちが落ち着き、美しい街並みを堪能できる。
 「案ずるより産むが安し」と念じつつ、覚悟を固め、出で発つ。悠久のときを尋ねてペダルを踏む。

 5月から6月にかけてのブダペストは甘酸っぱいアカシアの香りが街一杯に漂い、ポプラの綿毛が吹雪のように舞う。
 日本では晩春から初夏にかけて藤、桐、菖蒲など紫の花が見られる。ヨーロッパではこの時季ジャカランダが見事だ。

 

 参考資料は必ずしも多くなく、各国の地図(ハンガリー30万分の1、ハンガリーサイクリングマップ55万分の1、ブタベスト市外図2万分の1、セルビア50万分の1、ブルガリア37万5千分の1)と岩波新書ドナウ河紀行、集英社文庫「夫婦で行くバルカンの国々」、各種旅行ガイドブック、ユースホステル案内書、丸善「ヨーロッパ レストランメニュー事典(16言語収録)」

 

各国の印象

1.セルビア;出国時に宿泊証明書を求められる。地方では知られていないので、説明に苦労し、やっと作ってもらった事2度。 バス、トラック、小型乗用車は赤色が圧倒的に多い。平地と山地がはっきり分かれていて、景色の変化に乏しい。よく働く、貧富の差が拡大しつつある感じ。 ベオグラードは数え切れないほど攻撃され、攻め滅ぼされてきた。凄く古い街なのに都市としての継続性がないのだ。 一つの纏った印象がない。色々な時代の建物が少しずつごちゃ混ぜになっていて、雑然とした街だ。 ベオグラードからニッシュ、列車6時間、バス3時間、バスに自転車をそのまま積み込める。

 

2.ブルガリア;バルカン山脈が横たわっている。キリル文字は正教の布教に伴いセルビアとロシアに伝わった。ローマ遺跡が世界で三番目に多い。 わが学生時代は歌声喫茶が全盛で、「黒き瞳はいずこ、わが故郷はいずこ、ここは遠いブルガリア、ドナウの彼方」などとダミ声を張り上げたものだ。
 起伏があって景色はスケールが大きく、変化に富んでいた。ブルガリア人はすきっ歯が多いせいか、食事処には必ず楊枝が置いてあった。 両側がとんがっているが、薄荷は付いていない。因みに日本のコケシ状の頭は折って楊枝置きにするように発明家柳家金悟楼の実用新案特許であった。
 モロッコ同様タバコの1本売りがあった、学生時代の生協を思い出した。
 マンジャーレ(食事をする)、ヴィノ(ワイン)、インフォルマティオン(情報)などイタリア語と同じ言葉が多いのはどういう訳だろうか。
 馬車と猛スピードの車、農業国であのスピード、どこか不釣合い。国道8号線はトスカーナを彷彿させる。
 Yes(ダー)は首を横に振る。No(ネ)は首を縦に振る。韓国人が首を横に振りながら並んで歩いているのに似ている。
 駅舎は何処も黄色。

3.トルコ;入国するとすぐモスクが目に付く。水田が広がる、道路がよくなる、建物が小奇麗になる、車のスピードが落ちる。 チャイ(紅茶)の出前が見える。屋台、露天商、引き売り、担ぎ売り、立ち売り、路上商、何でもあり。街を行く人、働く人は圧倒的に男。 数年前はホテルのベッドメーキングも男の仕事であった。
 物価がアンバランス、食材は安く酒類は高い。飲める所は少ない、ワインがシャラップとは笑わせる。 有名ビールはEFES PILSEN(チェコのピルゼン発生)、直径20cm位のパンが1人前、水はスー(Su)で英語の下水を連想させる。
 オトガル(Otogal)はバスの集合発着所、町の中心部から4〜5km離れたところにあり、市内に大型車は入れない。
 インフレ興進中、建設バブルの感あり。

印象に残った街

1. ハンガリー・ケシュケメット;事前の情報は皆無だったが、ユニークな意匠の教会などの建物が軒を連ね、公園や緑道が見事。住人は豊かで柔和。
2. ブルガリア・ソフィア;魅惑的な名、緑多く歴史的建造物多。プロブディフ;歴史的建造物多、活気あり。
3. トルコ・エヂルネ;キャラヴァン・サライというホテルは嘗てシルクロードーをキャラヴァンしていた隊商が駐屯所としていた館(今では殆ど残っていない)。 その中庭に座してコーランを聞きながら涼風に吹かれていると、遥か往時に思いが及ぶ。どんな思惑と使命感が交錯していたのだろうか。セリミェ・ジャーミーは世界遺産。

昭和30年代前半の日本と似たところ:子どもの躾の悪さ、自然の豊かさ、物価の安さ、街を住人が清掃・除草をまめまめしくしている(日本の座敷箒)。 田舎では言葉が通じない。馬車が活躍。サイクリストが少ないので声をかけたり手を振ったりする。・・・・・トルコでは職員が盛んに掃除片づけをしているが、そのすぐ後に芥を平気で捨てるので鼬ごっこだ。

道路:交通標識が極少。地図とコンパスと勘が頼り。道を聞いても必ずしも正しく教えてくれない。右と左を逆に言ったり、子どもは面白半分に嘘を教えるのはトルコとモロッコ。すくなくとも3回は確認しなくては安心できない。
 交通量が少ない国道に並行して高規格道路を建設している国が中・東欧では多い。車より猿の方が多い薩摩半島でも同じ事があったっけ。
 ハンガリーでは自転車不可の国道が多い。政府観光局で貰った地図に自転車不可表示が目立ったので聞いたところ、通れるけど不向きだといわれたが、実際には警官に捕まって他の道路に移された。
 トルコ政府観光局では自転車旅行は望ましくないとのこと。→山賊でも出ますか?→出かねない!

長距離バス:ブルガリアでは鉄道と一緒の駅。鉄道の半分の所要時間。トルコでは氏名もチケットにプリントされ座席指定、コ―ヒー・菓子・水などがサービスされる。

言葉:英語はあまり通じない。話せる人でも訛が強く、何度も聞き直す。ドイツ語を話す人が多い。トルコではRとLを区別できない。キルギス文字が多用されている、アルファベットの読み方も違う、メニューに英語の併記が少ないのでレストランで困ってしまう。

出会い、危険:人のよさそうな上品な男が話しかけてきて、珈琲でもどうか。また或る時は路上のレストランで夫婦者が一緒に食事を、と話しかけてきた。その手は桑名の蛤だ。数年前イスタンブーでも絨毯の売り込み方々ワインに誘われたことがあった。薬でも盛られて眠らされたら事だ。
 ブルガリアに入った途端、野犬3頭に追われた。その後数回牙を剥かれた。。
 馬車が寄ってきて御者曰く「金をくれ」→「無い」→「ポーチを見せろ」→紙とパスポートだけなので諦め。パスポートの重要性を知っていたら事だった。 道を教えると金せびり、子どもの金せびり、タバコせびり、リュックが降れて言い掛かり、毅然とした態度と多少の愛嬌で対応。

食べ物:安くて旨い。サクランボは1kg200〜400円。
 ブルガリアで巨大ドドメ(日本の5倍)採取。
 パンは全体的に軟らかめ、トーストすると旨い。メンチカツの生地を薄く塗ったサンドウィッチトースト。
 お気に入りはフレブニッカと言って、ハンガリーとブルガリアで直径15cm球状のパンを釜にして色々な肉や野菜を具にしたスープを入れ、オーブンでかりっと焼いたもの。
 昼飯はホテルでパン、ハム、ゆで卵、チーズなどをガメて置いて、人参、ペペローニ、トマト、胡瓜、果物などを少し買って食べる。何処でも食べられるし安上がり。

ホテル:ホテルは出会いで決まる。良し悪しも、決まる決まらないも出会いだ。良否は宿賃だけでは決まらない。門、玄関の戸締りまで任されることもある。キャラヴァン・サライ(75リラ)のバスタブは蛇口側2/3が深く、背側は腰まで湯がつからない
 首都、特にイスタンブールは高い。地方では呼んでも人が出てこない、休み、満室などで泊まれないことがある。途中でキャンセルして他のホテルに移ったこともある。金を全額取り戻すのが大変だった。

:地酒は何処も今一。ワインはセルビアとブルガリアでは並々と注がれ、安い、旨い。
 トルコでは飲めるところが少なく、高い。酒屋で買っても高い。イスタンブールでは東京並み。

お金:通貨が煩わしかった。ハンガリー:フォリント、セルビア:セルビアデナール、ブルガリア:レフ、トルコ:リラ、念のためユーロ、日本円。
 この通貨は両替できない、どの銀行でも扱ってない、など言われながら出来るところがある。丹念に探すこと、街中でできるところがあることも。

総括: 低温、天気の急変、雨、霰、雷、大木の下や民家の軒下、バス停などで雨宿り数回。今回は走りや観光よりもタウンウォッチング、これもよし。「続・欧の細道」は「欧の細道」より更に奥であった。1,200kmの積りが1,100km、多少消化不良。
 昨年のような無様なマネはしたくなかったので、注意に注意を重ねたことが相当なストレスとなった。携行品リストに収納場所(バッグのどのポケット)を記したのは正解であった。


小過あるも大過無し、無事故無災害、無病息災、平穏無事に帰国、目出度し万歳。


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